各世代別のサッカー日本女子代表​に名を連ね、フットサル転向からわずか7カ月で、今度はフットサル日本女子代表に選出されたゴレイラがいる。それが、176cmの身長でゴール前に立ちはだかる、井上ねね選手だ。2022年のスペイン遠征でのメンバーにも選ばれ、2023年11月に3年ぶりに開催される国際大会、アジアインドア&マーシャルアーツゲームズでも活躍が期待されている選手である。

サッカーとフットサルそれぞれで日本代表を経験していながらも、まだ何も成し遂げていないと言う井上さん。日本代表として試合に出場し、アジアでナンバーワンになるという前人未到の目標に照準を合わせ、日々準備を行っている。井上さんが世界基準で行うコンディション調整は、既成の枠組みにとらわれない。足指やストレスへの対処に重きを置いた変わった角度のアプローチからは、「原点にかえる」という1つの信念が顔をのぞかせていた。

目次

マイナスからゼロに戻すこと

井上さんは競技力向上のために、ただトレーニングを積み重ねる考えを一蹴したという。

「人間って、自分が持っている筋肉をすべては使いこなせていないんですよ。筋トレなどでいきなり0から上を目指す人が多いけれど、人は元々マイナスですよっていうのがベースです。だから、自分はまず0に戻すことを考えています。」

小学校2年生からサッカーを始めると、点を決めるよりも守る方が好きだった井上さん4年生でキーパーに転身。中高生はサッカーの名門・JFAアカデミー福島で6年間を過ごし、大学時代には日本体育大学女子サッカー部(現:日体大SMG横浜)で、なでしこリーグ2部から当時日本のトップリーグだった1部への昇格も経験している。年代別代表にも継続して選出され、エリート街道を歩んできたようにも見えるが、高校や大学のときは小さな怪我が絶えず、プレー面でも人知れず伸び悩んでいたという。

「高く跳べない。キャッチするときに身体が崩れる。あと、キックも飛ばない。自分の思う理想の自分がいて、何をしてもそこから離れていく感覚がありました。課題の改善方法を模索する中、新しい考え方と出会ったのは大学3年生のとき。きっかけは、小学校時代の恩師でした。まずは土台である足の指を使えないと、その他の筋肉も機能してこないことを教えてもらったんです。」

身体の機能について詳しく話を聞くと、スパイクの履き方や靴紐の締め方を一から改善。それまで行っていたトレーニングを減らし、足趾のケアの割合を増やしていく中で、鍛えるよりも整えることの重要性に気が付いた。

大学卒業後、一度はサッカーから離れたものの、半年後にフットサル選手として競技の世界に戻ってきた井上さん。大学時代に学んだ理論から、現在はさらに実践的なフットケアを身につけ、競技者としてプレーに落とし込んでいる。フットサルを始めてから4年、大きな怪我はしていない。

「今では『小指が使えていないから、ボールに対してパワーがなかったのか?』と、瞬時に自分の身体の状態を3Dスキャンのように把握することができます。実際に自分が学んだ知識を、パフォーマンスに反映させている感じですね。」

足指のケアは、目に見える結果を得るまでに時間がかかる。井上さん自身でさえも、まだ完全に足指を使えていないそうだ。それでも、井上選手は「チリツモですね」と事もなげに言う。練習前に足指の筋肉をほぐし、刺激を入れる。そうといった地道な積み重ねが、彼女の安定したプレーを支えているのだ。

身体に直結する“心の状態”

一方で、コンディションを保つために大切なのは、身体のケアだけではないと井上さんは話す。学生の頃は、自分の性自認について腑に落ちない感覚を抱いていたそうだ。

「自分の性が、男性寄りのときも女性寄りのときもあって、結局どちらでもないみたいな感じでした。軸が定まっていないような状態だから、将来自分がどうしていきたいかも全然わからない。自分ってなんだろうと思うことは続いていました。」

サッカーを引退してから、自分の性自認について思っていることを兄に伝えたという。それをきっかけに、まっすぐ生きられるようになったと井上さんは口にした。

「それまでは、どこかふわふわしていたけれど、ストンと自分というものが落ちてきました。別に、男女という括りに縛られなくてもいい。そう思えるようになってからは、堂々とできるようになってきたというか、ちょっと胸を張れるようになりました。」

実は心の動きは、身体に直接反映されることも明らかになっている。人は感情によって身体の温度が変わり、ストレスは身体の「冷え」に繋がっているのだ。そのため、足の裏を見るだけで、その人がストレスを感じていることがわかるのだという。逆に、身体を温めることで抱えているストレスが軽減し、うつなどの症状も緩和されると言われている。

「モヤモヤしている状態は、思考でありストレス。自分は性に対する悩みがあったとき、身体にも現われているような感覚がありました。実際、ストレスや悩みが身体に直結することがわかり、今までコンディションが整わないときは身体の問題としか思わなかったけれど、心の健康も大事だなと思うようになりました。」

怪我以外のときに休む選択肢

心と身体の両面を気遣うようになったことで、どのような変化が生まれたのか。これについて井上さんは、自分をコントロールできるようになったことを1番に挙げた。

「心や身体の状態を正しく判断することで、練習量などを制限できるようになりました。例えば、怪我していないときでも、疲労の蓄積具合などによっては練習を休んだり、負荷を落としてもらったりしています。恐らく周りから見たら練習量は少ないと思いますが、質で考えると自信はあります。」

そう話す井上選手に対して、チームメイトも「練習試合とか関係なく休むよね」と笑った。井上さんが練習量のコントロールをできるようになったのは、フットサルに転向してからのことだ。サッカーは全体練習が週6日のチームが多いが、フットサルは週4日と練習が少ない。また、日本の女子フットサルはトップリーグのチームでも月謝が発生し、遠征費や活動費も選手の自己負担。専属トレーナーやフィジカルコーチがいないチームもあるなど、環境は良いとは言えない。ただ、これらのデメリットはコンディション調整の面で見ると、メリットにもなり得るのだという。

「練習量が少ないことで、身体を回復させられる時間があります。全体練習以外のトレーニングやケアも、自分に合うものを取り入れられるのはいいですね。合わないと思ったトレーニングは排除できますから。」

自分自身の状態に違和感を持ったとき、怪我していなくとも休むことが、他の選手にとって選択肢の一つになったらと話す。

「そもそも休むという選択肢がないから、多くの選手は練習量を自分で制限することが難しいのだろうと思います。でも、痛い時にはやらなくていいし、自分で危ないな、怪我をしそうだなと思ったら練習に参加しなくてもいい。大事なのは、公式戦で100%のパフォーマンスを発揮することなので。」

練習を休むことも視野に入れながら調整を行う井上さん。周りに惑わされることなく意思決定ができるのは、これまで積み重ねてきた自分への信頼があるからだろう。

自分が自分のドクターになる

心と身体の軸が定まった今、井上さんにとって自分が自分でいられる状態が健康であると、これまでの経験を反芻しながら言葉を発した。

「自分のことがわからない時期も長かったので、『スタートラインに立った状態』が健康だなと感じています。何かを急激に良くしようとするのではなく、ある程度自分の軸を持ってそこに戻していく。これによって、良い状態は保たれていくのかなと思います。」

井上選手はフットサルを始めたころからトレーニングジムで経験を積み、現在は2021年8月に立ち上げたリカバリージムの代表兼トレーナーを務めている。対話による不調の原因の解明から、最新の機器で行う冷えの改善。フットケアで身体能力の回復・向上をサポートするなど、新しいジムにはこれまで井上さん自身が競技人生から学んできたものが多く詰め込まれている。今後は経営するジムで、心身の状態を改善していくお手伝いができたらと意気込んだ。

「多くの人が、不調に対して表面的なところでの答えを求めているように感じています。でも大切なのは、より根本的なところに立ち返ること。自分が自分のドクターになるじゃないけれど、自分の状態に気が付けるようになることで、健康になる人は増えていくと思っています。そういう人を増やしていきたいですね。」

自分を客観的に見て対話できる状態を保つことで、競技力を高める井上さん。その方法は、目に見える部分を鍛え続けていくことよりも、大きな力を発揮するのかもしれない。自分の信じるやり方でアジアの頂点を目指すだけでなく、これからは自分以外の人をそれぞれの原点に導き、彼女の思う健康な人を増やしていくのだろう。

井上 ねね(いのうえ ねね)

フットサル女子日本代表、ゴレイラ。中学から6年間、女子サッカーの名門JFAアカデミー福島に所属し、年代別の代表にも選出されている。2019年にサッカーからフットサルへと転向し、7カ月で日本代表に。現役で活動する中で学んだ、フットケアや温トレを用いて、2021年からはリカバリージム「Polaris Personal Gym」の代表も務めている。

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By 伊藤 千梅 (いとう ちうめ)

元女子サッカー選手・なでしこリーガー。現役中はnoteでの活動を中心に発信。引退後はFCふじざくら山梨のマッチレポートの執筆を行う。現在はフリーライターとして活動中。

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