2022年10月、中東クウェートの地で開催されたフットサルのアジアカップで、2014年以来で8年ぶりとなる優勝を成し遂げた日本代表。その歓喜の輪の中に、上村充哉選手の姿があった。所属する立川アスレティックFCではキャプテンを務め、試合中にはピッチ内にいてもベンチにいても常に味方を鼓舞する声を出し続け、気持ちを前面に押し出したプレーが上村氏の持ち味だ。

しかし、プロ野球やJリーグとは違い、現在のフットサル界は決して恵まれた環境とは言えない。日本代表に選ばれ、チームではキャプテンを務めている上村氏もプロ契約ではないのだ。それでも、なぜフットサルをプレーし続けるのか。上村氏が心の内に秘める思いを伺った。

目次

若くして掴んだ夢への第一歩

「日本代表に入るだけではなく、そこで結果を出すこと。ワールドカップ優勝、最低でもベスト8以上に行くことが目標です。」

上村氏がフットサルを始めたのは、小学5年生の頃だった。きっかけは、通っていた美容院に置いてあったチラシを見たこと。当時住んでいた奈良県の隣にある京都府の『ガットフットサルスクール』で、サッカーと並行しながらプレーしていた。

本格的にフットサル1本に絞ったのは、高校生の時だった。所属していたサッカー部を退部して、フットサルで勝負することに決めたのだ。その決断の裏には、ガットフットサルスクールの代表を務めている、元フットサル日本代表の原田健司氏に言われた「お前はフットサルで日本代表になれる」とう言葉がある。そこから、“夢”に向けた上村氏のチャレンジが始まった。

高校卒業と同時に、Fリーグ・ディビジョン1に所属する湘南ベルマーレの下部組織『P.S.T.C.LONDRINA』へ加入。そこで1年間プレーし、翌年には特別指定選手としてトップチームに昇格を果たし、1年目から監督の信頼を勝ち取った上村氏はリーグ戦全試合出場を果たす。さらに、このシーズンが終わった3月末には、念願だった日本代表候補合宿に選出された。

「嬉しかったと同時に、怖いという気持ちがありました。Fリーグでプレーし始めてから、できるだけ早く呼ばれたいという思いは持っていたものの、19歳での初選出は思い描いていたタイミングよりも早かったので。正直、その時はFリーグ1年目ということもあり、自分のことに精一杯。毎日が必死過ぎて、代表のことは頭になかった時期でした。」

それでもリーグ戦での活躍が評価されて、19歳という若さで夢への第一歩を踏み出すことができた上村氏。しかし、フットサル選手として順風満帆なスタートを切ったものの、早くも試練が訪れる。

苦境を越えて新しい環境での再スタート

「翌年、チームのキャプテンに任命されて迎えた新シーズン、前年とは打って変わって出場機会を得られず、年間わずか5試合のみの出場に終わってしまいました。日本代表候補にはコンスタントに選ばれ続けていたものの、チームでの出場機会が激減してしまったのです。」

どん底に突き落とされた上村氏に、救いの手を差し伸べたチームがあった。それが、現在所属している立川アスレティックFC(当時:立川・府中アスレティックFC)だった。オファーを受けた上村氏は、移籍することを決断する。

「移籍することに迷いはありました。しかし、自分を必要としてくれているクラブでプレーしたいなと思い、決断しました。」

移籍にはリスクが付き物だ。新たなチームの環境や雰囲気に馴染まなければならないし、そこで確実に定位置を確保できる保証もない。新しい監督のもとで、一から信頼を勝ち得ていかなければならないのだ。立川へ加入し、シーズンの序盤は苦しんだ時期もあった。しかし、上村氏は徐々に出場時間を伸ばし、チームの中心選手へと成長していく。

ベルマーレで試合に出られなくなり、失った自信と試合勘を取り戻すことができたという上村氏。新たなチームで、夢に向けた再スタートを切った。

大切なのは、“今できること”をやり切ること

日本のトップリーグであるFリーグの中で、完全プロチームは絶対王者と呼ばれている名古屋オーシャンズだけだ。日本代表に選出されている上村氏も例外ではなく、チームとの契約はプロ契約ではない。平日は午前中にチームトレーニングを行い、午後からはサッカースクールで働いている。トレーニングと仕事を両立しなければならず、シーズン中は中断期間を除く毎週末に試合があるため、コンディションの調整は簡単なことではない。

「僕は、日本代表としてプレーすることを目標にやっています。また、スポーツにはお金では買えない価値があるから、フットサルを続けているんです。」

トップリーグの選手になること、そして日本代表というキャリアは、決してお金で買うことはできない。試合に勝った時の喜びや負けた時の悔しさ、優勝した時の達成感。スポーツには、日常では感じられない経験や感情を味わうことができる魅力がある。

立川アスレティックFCへ入団して1年目から主力として活躍していた上村氏には、何度か他チームからもオファーが届いていた。その中にはプロ契約のオファーもあったが、今も立川に残留し続けている。

「自分が試合に出ていない時に拾ってくれたチームなので、恩があるのは間違いありません。チームに対する想いは、他の選手よりも強いですね。試合に出られなかった時期にオファーをもらって移籍し、そこで出場機会を勝ち取ったからこそ、現在の日本代表選出にも繋がっていると思います。どん底にいた自分を獲得してくれたことには、心から感謝しています。」

とは言え、プロになることへの憧れの気持ちを持っているのも事実だ。スポーツ選手である以上、その競技に専念できる環境は魅力的だろう。しかし、上村氏には持論がある。

「プロになったからといって、必ずパフォーマンスが上がるというわけではないと思います。仕事がなくて楽をしたいからという考えを持っていては伸びないと思うので、その人次第ではないでしょうか。プロになることが重要なのではなく、大切なのは『何のためにプロになりたいのか』ということ。そして、プロになった際に時間を有効に使うことが必要で、選手としての自分自身としっかり向き合うことができなければ、プロになっても意味はありません。スクールの仕事をやっているから、時間がなくて自主トレーニングができないわけではないので。今の環境でも、もう少しできることがあると思っています。」

こういった考え方を持つようになったのは、湘南ベルマーレ時代に共にプレーし、多くの時間を共有したある人物の影響がある。それが、2020年に39歳という若さで亡くなった久光重貴氏だ。

「今はプロじゃなくても、いつプロになってもいいような準備は全員がしないといけない。プロになったからといって、いきなりプレーのレベルが上がるわけではないし、自然に感謝の気持ちが芽生えるわけではない。一日一日を大事にして、今のうちから意識を変えておくことが必要だよ。」

この言葉は、上村氏の心の中に生き続けている。現状を悲観するのではなく、置かれた環境で今やれることを最大限にやり切る。毎日を大切に生きて、日々全力で取り組むことを久光氏から学び、この言葉が原動力となって今の上村氏を作り上げているのだ。

波乱のスタートから勝ち取ったアジアカップ優勝

2022年10月にクウェートで行われたAFCフットサルアジアカップで、上村氏は日本代表メンバーに選出された。日本代表としては、2014年以来となる8年ぶりの優勝に期待がかかる大会だ。

「メンバーに入れるかどうかは当落線上だと思っていたので、選ばれた時は嬉しかったですね。2014年に日本代表がアジアカップで優勝した時はテレビで観ていたので、その舞台に自分が立つのかと思うと、感慨深かったです。」

しかし、この大会は波乱の幕開けとなる。グループステージ初戦となったサウジアラビアとの試合で、まさかの敗戦。最悪のスタートとなってしまったが、これまでアジアカップの出場経験がなかったメンバーの多くが、この負けを重く受け止めたことで奮起した。第2戦から立て直した日本はその後も勝ち続け、ファイナルへ勝ち進む。決勝戦では長年のライバルであるイランを倒して、見事に優勝を果たした。

「アジアの他国が死に物狂いで試合に臨んでいる中で戦いを経験し、人生をかけてプレーしているのだということを強く感じました。ただ、全日本フットサル選手権で優勝した時もそうだったのですが、今回のアジアカップも、優勝した瞬間はスケールの大きさを受け止めきれていないんですよね。」

8年ぶりとなるアジア制覇を成し遂げ、歓喜の輪の中で涙を流して喜んでいるチームメイトもいたが、上村氏は冷静だった。嬉しい気持ちや達成感はあるが、どんな試合でも1試合1試合を必死に戦うというのが上村氏のスタンス。そのため、決勝戦だからという特別な意識はなかったという。いつも通り、目の前の試合を全力で戦った結果だった。

次なる目標、夢への挑戦

上村氏の目線は常に先を、未来を見据えている。高校生の頃にフットサル選手として勝負していくと決めてから、頭の中には目指している大きな夢があった。

「優勝して終わりではないですからね。優勝したら、また次の目標に向けて始まるわけなので。日本代表としてワールドカップで優勝、最低でもベスト8以上に行くことが目標です。」

フットサルを始めた当初は、日本代表に入って結果を残すことが目標だった。しかし、日本代表のこれまでの最高成績がワールドカップベスト16ということを知り、自身が代表にコンスタントに招集されるようになってからはベスト8以上、さらにその先の優勝を目指すことに変わっていったという。今回のアジアカカップで日本代表の一員としてプレーし、アジアの頂点に立った。だからこそ、その目標はより明確になり、現実的に目指せるものだと感じているようだ。

「クラブで結果を残すことも、アジアカップで優勝することも大事です。でも、心の底から喜べないのは、まだ先に目標があるからだと思います。ここからが本当の勝負だなと考えています。」

一つの目標をクリアしたら、また次の目標へ。目の前の試合を全力で戦いながらも、見据える未来が上村氏を動かしている。飽くなき向上心と共に、夢への挑戦はこれからも続く。

上村 充哉(うえむら あつや)

1996年11月21日生まれ、奈良県奈良市出身。2008年にガットフットサルスクールに入団して高校卒業まで在籍。2016年にFリーグデビューし、2017年には日本代表候補合宿に初選出される。2022年に全日本フットサル選手権で優勝、同年に日本代表メンバーの一員としてアジアカップ2022で優勝。所属する立川アスレティックFCではキャプテンとして活躍している。

By 渡邉 知晃 (わたなべ ともあき)

1986年4月29日生まれ。福島県郡山市出身。元プロフットサル選手、元フットサル日本代表。Fリーグ2017-2018得点王(33試合45得点)。プロフットサル選手として12年間プレーし、日本とアジアのすべてのタイトルを獲得。中国やインドネシアなど海外でのプレー経験もある。現役引退後は子供へのフットサル指導やサッカー指導、ABEMA Fリーグ生中継の解説を務め、サッカーやフットサルを中心にライターとしても活動している。

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