「水泳→自転車→ランニング」と異なる3種目を連続して行う、珍しいルールを持った競技のトライアスロン。その競技の特性上、各種目に対して「トライアスロン用のスキルや戦略」が存在します。前回は、スイムについて詳しくご紹介しました。今回は引き続き、バイクについて取り上げます。

目次

スイム終了〜バイク開始直後にかけた激しい集団形成

オリンピック規格のトライアスロンには、エリート(プロ)選手と一般(エイジ)選手の大会で、いくつか異なるルールが存在します。その中でも大きな違いが、「バイク競技でのドラフティングの可否」です。

ドラフティングとは、前を行く選手の後ろにピッタリと着いて、風の抵抗を受けないようにする技術のこと。バイクは時速40~50kmというスピードが、生身でも平気で出せる競技です。車に乗って窓から手を出してみると、押し返される感覚があると思います。それが風の抵抗ですが、バイクの場合は生身で常に受け続けることになるのです。そこで、体力の消耗を減らすために、前走車を風除けに使おうというのがドラフティングという技術になります。

しかし、ドラフティングは楽になる反面、数センチ間隔で他選手と密集しながら走るので、少しの操作ミスで大事故を起こす可能性も内包しています。そのため、エリートレースではドラフティングを許可、エイジレースでは禁止とルールが分けられています。

そんなドラフティングですが、性質上、ドラフティングに参加する人数が増えるほど楽に高速度を維持できるようになります。人を1人風よけのため前方に置くだけで、後方の選手は5~7割程度の力で同じ速度が出せるようになるとも言われています。これは風の流れ、流体力学の世界ですね。ですからトライアスロンの場合、スイムを終えたらこのドラフティングの集団を形成するために、色々と激しい動きが生まれることになります。

例えば、ランニングを得意とする選手が居たとして、自分がその選手にはランニングで絶対に勝てないとなったとき。その選手が自分よりバイクで後ろの集団になってしまえば、自分の方がその選手よりも何十秒も早くランニングをスタートできるようになります。そのため、集団のスピードをグンと上げて、ランニングを得意とする選手が集団に追いつけないようにすることもあるのです。

その他、水泳で出遅れてしまった選手は少しでも前の集団に追いつくために、体力の温存を度外視して全力でバイクを漕ぐこともあります。激しい動きの中で各選手がそれぞれの目的に向けて動きを選択するので、バイクスタート直後は特にレース全体が混沌とする時間帯でもあります。しかし、同時に「このレースで誰が何をしようとしているのか?」というのが透けて見えてくる面もあるので、個人的には観戦していると1番面白い時間帯です。

1秒を削り出すバイク上でのシューズの脱ぎ履き

競技用自転車には、シューズとペダルを固定してより力が入れやすくするようにする「バイクシューズ」が存在します。当然、トライアスロンでもそのバイクシューズを使用するのですが、靴底にはペダルとシューズを繋ぐためのアタッチメントが着いています。その関係上、シューズを履いたままでは、上手く歩いたり走ったりできません。

それでは、どのタイミングでトライアスリートはバイクシューズを履くのか?私たちは、「バイクの上で漕ぎながら」シューズを履きます。

とは言っても、そこまで複雑なことはしません。バイクに乗車する前から、ペダルにバイクシューズを固定しておきます。そこに裸足で飛び乗って、最初はバイクシューズごとペダルを踏みながら自転車を漕ぎ、良いタイミングになったら足をシューズに入れるだけです。しかし、シューズを履く際には、当然ながらハンドルに置く手は片手だけになります。このタイミングでの落車事故は、トップレベルの選手でも少なくありません。

メーカーによっては、バイクシューズの中に「トライアスロンシューズ」というカテゴリーを設けているところも。そういったシューズは、軽さや空力性能(空気の流れによる影響)以上に“履きやすさ”を重視していることがあります。例えば靴紐ではなく、マジックテープが採用されているなどが挙げられるでしょう。

数秒を削るスキルであると同時に、少しのミスで落車に繋がる危険と隣り合わせのスキルでもあるのがシューズの脱ぎ履きです。意外と忘れられがちなのですが、安全面としてもタイムの短縮としても、特に繰り返し練習をする必要のあるスキルだと思います。

リスクを取って攻めるか、安全をとって留まるか

ようやく集団が落ち着いてバイクシューズも履くことができ、バイクが本格的にスタートします。が、ここで早くも選択に迫られることになります。それは、「攻めるか、守るか」の2択です。

トライアスロンは何百kmも走る自転車ロードレースと違って、ドラフティング許可レースだと40kmが最長の距離です。40kmというと、自転車ロードレースならレース終盤になるため、動きが活発になり始める時間帯でもあります。つまり、トライアスロンの場合、スタート直後からゴールに向けた仕掛け合いが発生するということです。

近年のトライアスロンでは、特にバイクでの戦術・戦略が重要視されるようになってきました。数年前までバイクは「ランニングのための準備期間」と言われたり、「バイクをどう過ごすか?」なんて言われ方もしていたりと、戦略性が重要視されない種目でした。しかし、オリンピックトライアスロンという競技が研究されるにつれて「バイクでの戦略が勝利に直結するのではないか」ということが囁かれ始め、実際に東京オリンピック男子優勝者は圧倒的なバイク走力を持って勝利を手にしていました。

そのため、近年トライアスロンでのバイクの動きは、活発化が進む一方です。例えば、集団から一人で抜け出してタイムギャップを獲得したり、集団のペースを上げて集団内の選手にダメージを与えたり、わざと集団のペースを落として自分に有利な展開に持っていったり…。本場の自転車ロードレースで繰り出されるような戦術が飛び交うようになってきました。観る側としては、これ以上なく面白くなってきたと感じます。しかし、競技者側としては気の抜けない時間帯が増えて、ただでさえキツいレースがさ、らにキツくなった状況です。

都市型レースの最難関「折返し地点」

日本では横浜やお台場、海外ならカナダ・モントリオールやイタリア・カリアリなど。オリンピックディスタンスのトライアスロンは、都市を使って行われることが少なくありません。バイクだと8~10周する周回コースを採用することで会場全体をコンパクトにし、観客がより観戦しやすくなります。

都市であれば、観戦にも訪れやすいというメリットもあるでしょう。当然、選手としても少しでも多くの人が観やすくなることは願ってもないことですし、間近で応援してもらえるのはとても力になります。

しかし、都市型レースの場合、コースレイアウト上で避けては通れない部分があります。それが、「折返し地点」です。これは通常のコーナーではなく、180度ターンするポイント。コーナーであれば多少の減速はあっても、スキル次第で可能な限り減速を抑えて曲がれます。

一方、折返しは別です。どんなにスキルの上達した選手でも、速度は限りなく0に近くなります。速度が限りなく0まで落ちるということは、そこから40~50km/hまで戻さなければならないということ。車を運転する方は、信号待ちから時速40~50kmまで加速するのを想像してみてください。それなりにアクセルを踏み込まないと、すぐには到達しない速度ですよね。バイクの場合、それを生身でやるのです。

しかも都市型レースでは、コース1周回の間にいくつも折返し点が設定されていることがあります。私が過去に出場したレースの中で1番多かったのが、折返し点5ヶ所を8周回の計40回でした。約1時間のうちに40回の加速。やってみればわかりますが、脚への負担がすごいのです。

ただし、折返し点も難所であると同時に絶好の仕掛け所でもあり、戦略としてペースアップを図ってくる選手が少なくありません。レースによっては、難易度を上げるためにワザと折返し点を設定するレースもあります。折返しの攻略は、オリンピックディスタンスのトライアスロンにおいて非常に重要な要素です。

バイク終了間際の激しい位置取り争い

度重なる難所や選手間の仕掛け合いを終え、ようやくランニングが見えてきます。トライアスロンのキツいところは、ここから更にランニングがあることです。ここまで争ってきた集団内に、もう争いはないのか…と思いきや、ここに来てもまだ争いの種が残っています。それが、「集団の先頭でバイクを降りること」です。

そんな必要はないと思われる方がいるかもしれません。しかし、トライアスロンという「1番最初にフィニッシュラインを通過した選手が優勝」という性質を持つことから、「バイクから降りる=減速する」という局面では、少しでも他選手よりも前にいた方が有利です。特に、降車のタイミングは落車のリスクも高まります。そのため、それを回避する意味でも、集団前方を陣取ることは重要なのです。

降車のための位置取り争いは、かなり激しいものです。わずかな隙間に全員が入りたがるので自然とペースが速くなりますし、他選手と体が接触することもあります。しかし、ここでの0.1のアドバンテージは、後々に数十秒のアドバンテージになり得るもの。ですから、リスクを承知で攻める選手が大半です。

このように、トライアスロンのバイクには通常のロードレースとは違った戦略や戦術があり、それが40kmという短い距離にドラマを生んでいます。主に、後に続くランニングへの布石として、近年は攻撃のパターンも増えてきました。今後ますます、トライアスロンのバイクは戦略性を増してくることでしょう。観戦する際には、集団の動きにフォーカスしてみても面白い発見があるかもしれません。

By 古山 大 (ふるやま たいし)

1995年4月28日生まれ、東京都出身。流通経済大学を卒業後は実業団チームに所属。2020年1月に独立し、プロトライアスロン選手として活動。株式会社セクダム所属。 <主な戦績> 2015年「日本学生トライアスロン選手権」優勝 2017年「日本U23トライアスロン選手権」優勝 2018年「アジアU23トライアスロン選手権」2位 2019年「茨城国体」3位、「日本選手権」11位 2021年「日本トライアスロン選手権」4位

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