18歳という若さで日本代表に初招集され、これまで女子ラグビー界を牽引してきた鈴木実沙紀選手。小学校の授業で行ったタグラグビーが大好きになった少女は、いつしかラグビーの虜になっていった。それまで取り組んでいた新体操をやめて、本格的にラグビー競技と向き合うようになったのは中学生の頃。その後は高校、そして大学と男子ラグビー部で切磋琢磨してきた。

男子ラグビー部での活動だったため、公式戦には出ることはできなかった。しかし、日々の練習の中で己を鍛え、日本代表の活動で実戦の経験を積んできた鈴木さん。2022年にはラグビー日本代表として、自身2度目となるワールドカップへの出場を果たす。そして今、自身の中でのラグビーに対する考え方が少しずつ変化してきた。

引退も視野に入ってくる年齢になる中、現役を続ける理由とは何なのか。ラグビーを通してたくさんの経験をしてきた鈴木さんが今感じていること、そして胸の内にある想いを伺った。

目次

タグラグビーの面白さに惹かれた

日本を代表する女子ラグビー選手として活躍している鈴木さんだが、きっかけは“タグラグビー”との出会いだった。タグラグビーは、左右についているマジックテープに1枚ずつタグを着けて行う。左右どちらかのタグを取ることでタックスが成立したものとし、パスしなければならない。つまり接触がなく、子どもでも取り組みやすいスポーツだ。

「私の通っていた小学校ではタグラグビーの授業があり、とても盛んでした。プレーしてみるとすごく面白くて、体育の授業の中でも一番ハマったスポーツでした。」

タグラグビーにのめり込んでいった鈴木さんは、仲の良い友達とチームを組んで横浜市の大会に出ることに。6年生時には、その大会で準優勝という結果を残す。

「優勝したのは全国大会でも優勝したことのあるチームでした。それは強いですよね。試合後、優勝チームのコーチから、週末に行っているタグラグビーに誘ってもらったんです。中学生になるとタグラグビーの授業がなくなってしまうので、『行きます』と言って通い始めました。」

実はこのとき、鈴木さんはタグラグビーのことは知っていても、ラグビーというスポーツのことは知らなかったという。このチームでは土曜日にタグラグビーの練習を行い、日曜日にはラグビーの練習もしていた。

「土曜日の練習に参加し、『明日もあるから来なよ』と誘われたので行ってみたら、タグを着けなかったんです。そこで、初めてラグビーの存在を知りました。でも、そのときはタグラグビーとあまり変わらないなと感じて、ラグビーもやることになったんです。」

鈴木さんは、小学1年生から中学1年生まで新体操をやっていた。中学生からタグラグビーを始めたので、少しの期間は同時並行で取り組んで、両立は難しいと感じるようになっていく。どちらかを選ばなければならなくなり、新体操をやめてタグラグビーを選んだ鈴木さん。両親からも、特に反対などはなかったようだ。

仲間に恵まれた高校時代

中学生の頃はタグラグビーとラグビーを両方とも行っていたが、高校進学後は本格的にラグビーに取り組むことを決心。進学先として選んだのは、スポーツが盛んで有名な市立船橋高校だった。今でこそ女子ラグビー部のある高校は増えたが、当時はなかったため男子ラグビー部へ入部することに。女子選手でありながら、男子ラグビー部に入るというのは簡単なことではなかった。しかし、市立船橋高校ラグビー部の一員になれたことは、鈴木さんにとって大きかったという。

「男子に囲まれて、最初は怖かったんですね。でも、一年生は初心者が半分、経験者が半分だったのと、中学上がりの段階では男女の体格差がそんなになかったので、なんとかなった部分はあります。あとは、先輩に女子選手がいたのも大きかったです。部として受け入れてくれる体制ができていたというか、チームメイトとして認めてくれる感じがあったので、すごく良いチームに入れたなと思いました。」

それまではコンタクトを避けてプレーしていたときもあったというように、タグラグビーにはない接触プレーが得意ではなかったという鈴木さん。男子と一緒に練習することで、自身の苦手な部分を克服しようとしていた。

しかし、男子ラグビー部に入ったことで一つの問題があった。それは、公式戦に出られないということだ。相手チームの許可があれば、練習試合には出ることができた。しかし、1年生の試合が中心で、公式の大会には出ることができなかったのだ。

「自分がどれだけ成長しているか試合で試せないことに、もどかしい気持ちはありました。その中でも、月1回は女子だけの練習会にも参加していました。発揮する場は少なかったですが、練習中のプレーについて『これ良かったよ』『この部分が良くなってきたね』という言葉を先輩や同期がかけてくれたので、モチベーションを保つことができました。これも、チームのおかげかなと思っています。」

高校で出会った仲間の存在に支えられて、鈴木さんは一人の選手として成長していった。

ニュージーランドへの留学

高校2年生のとき、ニュージーランドへ3ヶ月のラグビー留学をすることになった。新聞に載った記事で鈴木さんのことを知ったという方が、留学の話を持ちかけてくれたのだ。

「それまではパスポートも持ってなかったので、初めて海外に行きました。すごく面白そうだし、ニュージーランドの女子チームに入るので、たくさん試合ができるというのも魅力的でしたね。英語は全然話せなかったですが、とりあえず行ってみたいという気持ちが大きく、即答で『行きたい』と答えました。」

普段から男子と一緒に練習していたことで、海外の体格の大きい選手と試合をすることに対し、壁というのは感じなかった。しかし、ニュージーランドでは、ラグビーのレベルの高さ以外にも感じたことがあったようだ。

「体格やスピードに差がある男子と一緒にやっていたので、海外に行くのも怖くありませんでした。でも、実際に行ってみると、女子の大きい選手は男子高校生よりもさらに大きいんです。これが、世界トップレベルの国であるニュージーランドかというのを感じましたね。そして、人生の中で、ラグビーの位置には色んな形があることを学びました。若い選手もいましたが、主婦や子どもがいる選手もいたんです。それを見たとき、どういう位置にあってもラグビーは楽しめるべきものだし、ラグビーにすべてをかけることももちろん大切ですが、それまで見たことのないラグビーの形を見ることができました。」

レベルの高い環境でプレーできたことで、一人の選手として成長できた鈴木さん。高校時代にニュージーランド留学を経験したことはとても大きく、またチャレンジしたいという気持ちが芽生え、2018に再びニュージーランドで1シーズンを過ごした。これが、新たな価値観やラグビーのあり方を考えるきっかけになったようだ。

18歳で日本代表に初選出

激しいコンタクトがあることから、当時のラグビー女子日本代表は18歳にならないと入ることができなかった。幸いにも4月生まれだった鈴木さんは、18歳の誕生日を迎えるとすぐに日本代表に招集された。当時、代表チームの中では最年少。最年少として憧れだったという日本代表活動に参加して感じたのは、レベルの高さはもちろんのこと、そこに参加する選手たちの覚悟や熱量だったという。今でこそ合宿や海外遠征の費用は協会が負担してくれるが、以前はそうではなかった。

「自分たちで費用を負担していた時期を知っている選手がいたからこそ、一つ一つの活動でどれだけ自分たちのやるべきことを詰め込めるか、1回のセッションの熱量と、少しでも成長するんだという責任感がとても強いことを感じました。初めて行ったときは『これが代表か』と驚いたのを覚えています。」

以前の代表チームが、自分たちでお金を払って活動していたということは聞いていた。しかし、実際に自分が代表活動に参加したことで感じるものもがあったようだ。

「背景を知った上で合宿に参加したとき、思いの違いを感じました。歴代の先輩たちが繋いできたものを受け継いで、これだけ覚悟がある人たちが集まったら、それはすごい集団になると思いましたし、圧倒されましたね。」

原点となった場所へ

高校卒業後、選んだ進路は関東学院大学ラグビー部だった。中学生の頃、タグラグビーのチームに入った際に練習していたのが関東学院のグラウンドだった。関東学院大学ラグビー部の春口廣監督は子どもたちによく声をかけてくれていて、鈴木さんのことも覚えていた。

「春口監督から、高校でも男子とやっていたし、大学でも男子とやりたかったら関東学院においでと声をかけてもらいました。私自身、男子とやることが楽しかったですし、すごく勉強になるので、誘ってくれたことが嬉しくて入ることを決めました。何より、自分がラグビーに出会った場所にもう一度戻れることがいいなと思ったんです。当時の私たちの面倒を見てくれたのが大学生で、2~3時間自分たちの練習をして疲れているにも関わらず、タグラグビーの相手を1時間くらいしてくれていました。あのとき大学生にお世話になり、こうして今もラグビーを楽しめているので、私もそういう大学生になりたいという気持ちもありましたね。」

しかし、大学では苦労もあった。鈴木さんが入部するまで女子選手は在籍していなかったため、スポーツ推薦の受験時にはマネージャーと勘違いされたことも。それでも声をかけてくれる仲間や、可愛がってくれる先輩がいたことで、少しずつ馴染むことができた。とはいえ、高校と同様に男子の公式戦には出られない。大学では部員数も多かったことから、練習試合にすら出ることはできなかった。

「試合には出られませんでしたが、高校3年生から日本代表としてコンスタントに呼んでもらっていました。ですから、7人制と15人制の両方の活動に参加すると合宿も多く、練習は大学で、実戦は代表でというサイクルができていました。」

大学でも仲間に恵まれた鈴木さんは、モチベーションを保って日々の練習に取り組むことができた。

チーム再建のために

大学3年時から、東京山九フェニックスに所属することになった鈴木さん。大学の練習がないときにチーム練習へ参加するという形だったが、加入したのには理由があった。

「もともと長い歴史があり、優勝争いをするようなチームでした。しかし、所属していた方が同世代だったことで一気に引退してしまい、チームを存続するのが難しい状況になっていたんです。」

大学の先輩でもある四宮洋平氏が、自身の現役引退をきっかけに「歴史あるチームを潰してはいけない」と、監督に就任することが決まる。そこで、鈴木に声がかかった。

「このチームを再建させたいから、チームに来てくれないかというオファーを頂きました。新しく何かすることに対して面白そうだと思い、リスタートを切るチームを選手として手伝いたと、加入を決めました。」

卒業後もそのチームに在籍し続け、現在では11年になる。鈴木さんの加入時は2~3人だったチームも、今では約40人が所属するまで大きくなった。そして、2022年シーズンは7人制、15人制ともに優勝を果たした。

踏みとどまった引退

どんな特徴を持っている人でも絶対にチームに貢献できるところが、ラグビーの魅力だと語る鈴木さん。チームスポーツであるラグビーは、各選手それぞれに与えられた役割がある。スポーツによっては競技特性によって向き不向きがあるものだが、ラグビーは違うという。

「自分の良いところを伸ばして本気で頑張れば、誰でもチームのためになれるのがラグビーの面白さです。一つのトライをするために、各選手が自分の役割を全うしている姿がすごくかっこいいなと。だからこそ、素敵なスポーツだと思っています。」

2022年に日本代表として自身2度目となるワールドカップに出場し、今年で31歳となる鈴木さん。実は2022年シーズンが終わったタイミングで、引退も視野に入れていたという。

「正直に言うと、2022年のワールドカップが終わってチームに戻り、15人制の大会に出たときには、ラグビー人生最後の大会だと思いながらプレーしていました。でも、大会が終わってみると、まだやり残したことがある気がして、オフの期間にそれが何なのか考えてみたたんです。そこで出た答えが、『まだチームに対してできることがある』ということでした。」

自分が長く日本代表選手として活躍できたのも、所属チームのおかげだった。代表合宿や大会でチームを離れる期間も多く迷惑もかけてきたが。だからこそ、これからはもっとチームのためにやれることをやっていきたいという気持ちが芽生えたようだ。

「ラグビーが楽しい。それが一番ですね。チームのみんなが大好きなので、引退しようと思ったけど、やっぱりまだやめられないと思いました。体も動くし、もっとみんなでやれることがある。そう思ったら、すべてをやり切ってからやめるでもいいかなと。」

もしかすると、ニュージーランドでの経験があったからこそ、こういった考え方になったのかもしれない。ラグビーが楽しいという気持ちがある限り、鈴木さんのラグビー人生は終わらない。

鈴木 実沙紀(すずき みさき)

日本代表として2度のワールドカップ出場経験を持つ女子ラグビー選手。小学校の授業でタグラグビーに触れたことが、ラグビーを始めるきっかけとなった。中学でラグビーを本的に始め、高校、大学は男子ラグビー部で自身を鍛えた。大学在学時から東京山大フェニックスに入団し、卒業後の現在も所属。2度のニュージーランド留学経験がある。

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By 渡邉 知晃 (わたなべ ともあき)

1986年4月29日生まれ。福島県郡山市出身。元プロフットサル選手、元フットサル日本代表。Fリーグ2017-2018得点王(33試合45得点)。プロフットサル選手として12年間プレーし、日本とアジアのすべてのタイトルを獲得。中国やインドネシアなど海外でのプレー経験もある。現役引退後は子供へのフットサル指導やサッカー指導、ABEMA Fリーグ生中継の解説を務め、サッカーやフットサルを中心にライターとしても活動している。

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