New Road(ニューロード)

menu

45歳のボクシング世界チャンピオン・藤岡奈穂子選手。強さの秘訣は「環境づくり」と「波」

©2021 Masanori Murayama

2021年79日(日本時間10日)、米国ロサンゼルスで行われたWBA世界フライ級タイトルマッチで見事に王者防衛を果たした藤岡奈穂子選手。現地の実況解説も「彼女、45歳だって?信じられる?」と、藤岡選手のアグレッシブな戦いを大絶賛しました。2021818日に46歳を迎えた藤岡選手は、なぜ年齢を重ねてもなお進化し続け強くなれるのか。ご本人に、その秘訣を伺いました。

強くなれたのは「自分にボクシングが合っていた」から

©2021 岸本ちかこ

――藤岡選手が45歳で10年間もの間に渡り世界チャンピオンでい続けていることに、世間は驚いています。なぜ、年齢を重ねても強いのでしょうか?

それは、私にもわかりません。差で言うと、遺伝子とかなのかもしれませんね。例えば、もともと持っている体の強さとか。そういう意味では親に感謝です。

とはいえ、もちろん体力や気力の差など衰えもあります。「気力の差」というと語弊があるのかもしれませんが、私は運よくボクシングに順応できたのだと思っているんです。もし他の競技でもできるかと言ったら、正直わかりません。たまたまボクシングが合っていたんだなと。

――合っていたというのは、具体的にどのように感じているのですか?

自分がボクシングに向いているかどうかは、ここまで続けていたからわかったことです。だから今は、結果的に合っていたのかなと思っています。じゃあ、私自身が20代・30代に「年齢はただの数字」と言われて、40代までできるかと聞かれたら答えはノーです。

ボクシングを地元の宮城県で始めたときから、決して恵まれているとは言えない練習環境でした。だから競技するうえで、常に自分で考えなければいけなかったんです。良い意味で捉えると、自分のペースで練習ができたとも言えますね。「今日はやる気ないな」と思ったら、やらなくてもよかったわけです。トレーナーがいたら、そうはいきません。それが良くもあり、悪くもあり。しかし競技するうえでは、結果を出さなくてはいけません。自分で強くなるために、いったいどうすれば良いのか。これを人に頼り過ぎず自分で考えてきた20代・30代があったからこそ、40代でも自分のベストを考えて、練習内容に項目を足してみたり引いてみたりしながら、練習環境を作っていくことができているのかなと思います。

テンションを上げる理由がモチベーションを保つコツ

©2021 岸本ちかこ

――コロナの影響もあり、前回の試合から2年間は満足に試合ができなかったと思います。試合という目標がない中で、どのようにモチベーションを保ってきたのでしょうか?

テンションが上がる理由を見つけることです。「米国で試合する」と色んなところで宣言していたのは、自分で見つけてきた“ボクシングを続けるための動機”でした。その分この4年間で、想いを叶える難しさも味わってきたんです。だからこそ今回の米国での試合は「それが実現するのだ」と、今までとは試合に向けたテンションが全然違いましたね。

厳しいトレーニングをするのって、嫌じゃないですか。それでも米国で試合ができるのなら、「その舞台でどんなパフォーマンスをしたいのか」を考えると向かっていけます。前回の試合(2019712日「WBA世界フライ級王者防衛戦」、挑戦者:天海ツナミ選手)で結果がドローだったこともあり、きちんと勝利をおさめたいと思いました。それくらい、勝ち負けの差は大きいと実感した試合でもあります。

ただし米国での試合が決まるまでは、「米国で試合がある」と仮定して進んでいくしかなかったですね。米国で試合するのと日本で試合するのとでは、世界の注目度が違いますから。米国での試合が実現し、そして結果も残せた今になって、以前までと今回のテンションの差が比べられました。

試合中もこれまでとは全く違って、楽しかったです。この「楽しい」という意味は、例えば試合中に身体の軸や重心など、自分で自分をコントロールできていたということ。体が流れていないとか、一つひとつ発見しながら試合ができた感じです。

――これまで、楽しいと思った試合はなかったのですか?

ありません。試合中も、「なんか違うな」と思いながらやっていたところが大きかったです。前戦ではそれが大きく出てしまいました。そう思った部分を修正したくて取り組んできたので、今回それが修正できていたのが嬉しかった。勝つのが大前提で嬉しいけれど、試合の中で修正できていた点が一番です。

試合結果がKOではなく判定になったら、あとは人が決めることですから委ねるしかありません。今回たとえ負けていたとしても、自分の中では納得できる動きができたんです。負けて引退することになっても、やりきった感はありました。点数で表すと80点。前回は40点で、これまでの試合の中では高得点です。

私は長く続けようと思ってきたのではなく、結果として競技を続けてきただけ。毎年「今年で最後になるかな」と思っていますから。もし負けたら、言い訳することなくやめます。ただ、ここにきてパフォーマンスが上がっちゃって…どうしようかな。「年齢はただの数字」と言っていますが、別にこれを誰かに言いたいわけではありません。人にそんな押し付けがましいことなんて言えないし、あくまでも自分に言っているんです。50歳で強い選手がいたら、自分でも困っちゃいますから。「うるさいな、勝手にしてろよ!」「私は私なんで」って。そんなの自分だって分かっているから、あくまでも自分に言っている言葉なんです。

進化に必要なのは「己を知る」こと

©2021 岸本ちかこ

――藤岡選手が20代から30代になったとき、何か変えたところはありますか?

そもそも、私がプロデビューしたのは33歳です。23歳からボクシングを始めてから、ずっとアマチュアでオリンピックを目指していました。女子ボクシングがオリンピックの正式種目になったのは、2012年のロンドン大会から。まだ、当時はオリンピック種目になかったんです。そんなとき2008年に女子ボクシングがプロ化されて、私は少し遅れてプロになったんですね。少し遅れたのは、プロになる気がなかったから。そんなときにスカウトがあったので、地元の宮城県から上京しました。当時はプロテストを受けられるのが32歳までだったのですが、アマチュアの功績があったので、33歳でもプロテストを受けてプロになることができました。

プロで通用するかなんてわからない。どれだけできるのか、順応できるのか。そういう意味では運試しのつもりで、負けたら宮城県に帰ろうと思っていました。デビュー戦の控室でも、ジムから「今日負けたら引退だからな」って冗談半分に言われていましたし。

30代は、20代の貯金でやっているようなものでしたね。20代は仕事と練習の両立で、仕事前や休憩中に走ったりしていました。隙間時間にできることをやる…と。そうやって積み上げてきて、結果を残してきたという自負もありました。

――そこから10年もの間にわたって世界チャンピオンとして君臨し、45歳でさらに進化する。いったい、どんなことに取り組んだのですか?

そんなに特別なことはしていません。朝起きて、寝て、ご飯を食べて。みんなやっていることですよ。皆さん子育てしているし、仕事もしています。そういう生活に、答えや結果って見えにくいじゃないですか。ジャッジもいませんし。ただ、私の場合はわかりやすく結果があるから、(頑張っていることが)そう見えやすいだけだと思います。私自身、他の人より何か頑張っているという意識はありません。

あえて差を挙げるとすれば、己を知ることでしょうか。「自分には何があって、何を持っていて、何が足りないのか」を知っているかどうか。例えば、自分に筋力が足りないと思ったときに筋トレする。その場合、自分の身体のことを知らなければ、怪我をしてしまいます。だから筋トレをするとしても、どんな筋力が必要で、そのためにどんなトレーニングが適切なのかを知ること。優先順位を間違えば、致命的なミスになることがあるわけですから。身体を鍛えるなら、まずは足腰を鍛えて土台を作ってから、上半身を鍛えていくわけです。それを知らず「じゃあ、まずはできることから」と懸垂や腕立てから始めると、身体の使い方もバラバラになって怪我してしまうことになります。

要するに、「見切れるかどうか」ですね。今の自分のパフォーマンスに、何か違うことがあれば変えてみるとか。惰性でやっているのは、考えていないことですから。本当にフィットしているのか、常に確認していくことが大切です。

©2021 Masanori Murayama

――確認していくとは、具体的に何を示すのでしょうか?

自分が設定したゴールに、この方法で向かえるかどうか。それを考えていなければ、結果がついてこなくて当然です。だから私は試してみても、何か違うと思ったらやりません。そういう意味での「見切る」です。とはいえ偉そうに言っていますが、ボクシング以外でできるかは別ですよ。私だって、何でもできるわけではありませんから。

こういう考え方は、常にどこか頭の片隅にあります。世界チャンピオンなだけで、何か他にできるわけでも、偉いわけでもありませんから。チャンピオンだからって、素晴らしいわけではないんです。たまにチャンピオンになった人で、「どこから物言っているの?」と思ってしまうケースを見かけます。自分はそうなりたくないし、なれませんからね。たまたまボクシングが得意な競技で、ベルトが取れただけ。人生の勝ち組とかではないし。そもそも「勝ち組って何なの?」って思います。

「Age doesn’t matter(年齢は関係ない)」という言葉も、先ほどお伝えしたように自分に向けたものであって、他人にそんな偉そうなことは言えません。これは、結果が全ての世界だとわかっているから言える言葉です。過程が大事なことは知っているけれども、今の自分の置かれた立場では言えない。プロとしてボクシングでご飯を食べている以上、そんなことは言えません。「過程が大事」と言った時点で言い訳になってしまいますよね。「結果が全て」と言い切るのは、自分の逃げ道をなくすためです

とはいえ、もし負けたら「ごめんね」と言うだけですけれど。気負いすぎるのも良くないことですし、競技者はそういう感じでいいと思うんです。第一、周りがとやかく言うことではなく、すべては自分のことですから。

ワクワクできるイメージが競技に向けた気持ちを作る

©2021 Masanori Murayama

――正直なところ、年齢による変化は感じますか?

米国の試合までは感じていました。正直、気力もついてこなかった。気持ちがないと身体はついてきません。では何が必要かと言えば、環境を作るしかないですね。人のせいにするとかは論外。だから私も米国で試合がやりたかったけれど、なかなか決まらず、他の試合の話があるとモヤモヤしていました。気持ちが作れなかったし、正直怖かった。もし、ここで負けてしまうと米国で試合ができない可能性が高くなるので、その恐怖です。だから仕方なく、ため息つきながらやっていた。これは危ないですね。そんな心境では、負ける可能性が高いですから。

例えば「1億円のファイトマネーを出す」と言われたら、どう思いますか?わかりやすくお金に例えましたが、自分がワクワクする舞台をイメージできれば、練習に向かう気持ちにも違いが作れる。まず、何よりもテンション上がるでしょう。これは明日・明後日、すぐにできることでなくてもいいんです。「もし、こういうことができたらテンション上がるよな」と思ってトレーニングをする。そこから逆算して、今自分は何ができるのかを考えるんです。結果的に、その舞台に行けなかったとしても力はつきます。これは、そこに行くために準備する力です。今の環境が「嫌だな」と思ったら、現状維持ではなく今より悪くなっていく。運やタイミングだってあるので、だからこそ、最初から無理だなんて考えなくてもいいんです。

――ワクワクするイメージを作るのに、必要なことは何ですか?

動いてみることでしょうか。私もボクシング関係の知人に誘われて米国へ行かなかったら、米国で試合するなんて想像もできませんでした。まずは現場に行ってみる。そうすれば同じイメージでもより鮮明になり、知らなかった情報も手に入れられます。私が米国に行ったのは41歳のとき。そこでイメージして「12年のうちにやらないと年齢的に…」なんて考えていたら、気づけば45歳でした。まさか、45歳で叶うとは…と驚いています。

誰だって、今より若くなることはありません。「45歳だからこれだけの練習でいいかな」と言うのではなくて、年齢関係なくそれ以上のことができるんです。年齢を重ねると、体力が落ちていくからキープする。これが一般的な考えですが、思っている以上にできるし伸びしろだってあります。

ただし波は必要。20代と比べて倍休まないといけない部分もあるので、そういうリズムを作ることは大切です。もちろん怪我しちゃいけないので、その分だけケアにもお金と時間をかける。20代では整体なんて行ったことはなかったのですが、今は積極的に取り入れています。やりたくないことをやっている場合じゃないからこそ、どういう環境を整えるのかが大事です。

――諦めない人の差って、どこにあるのでしょうか。

執着心ではないでしょうか。「絶対それをやりたい」と思えるかどうか。ずるいかもしれないけど、私はボクシングの神様のせいにしています。今回勝ったのも、ボクシングの神様に「まだ続けろ」と言われているとしか思えない。もし負けたら、ボクシングの神様に「もういいよ」って言われたと思うしかないと。

でも、ボクシングの神様はボクシングしか担当ではないので、ボクシング以外の保証はしてくれません。自分にはボクシングの神様しかついていない。八百万と言いますが、そこだけの狭くて深い神様です。

そもそも、私がプロになったのは運試しでしたから、すべてはボクシングの神様次第です。デビュー戦で負けていたら「もう宮城帰っていいよ!」と言われているようなものだし、それなら「いい経験でした。ありがとうございました!」って。今では地元の家族や友人に「都会の絵の具に染まった」なんて言われているので、どっちに行っても大変ですよ。試合のときも、「ここまでやったんだから、あとは神様次第だな」って思っています。結果がついてくるときはもちろん、結果が伴わなくても「もっと頑張れ」と神様が言うなら、ピンチでも救われるのではないでしょうか。

――これからも、藤岡選手は挑戦し続けるのでしょうか?

挑戦し続けないと、ここにいる資格がないんですよ。そうでなければ、ボクシングの神様からとっくに「やめてくれ」って言われています。今後はわかりません…ボクシングの神様に聞いてください!

藤岡選手の言葉からみえた「己で決断しているか、否か」の問い

©2021 岸本ちかこ

藤岡選手の偉業を伝えると人は驚き、年齢を伝えるとさらに驚く。返しの言葉には「さぞかしストイックなのでしょうね!」と言う人が多いが、ストイックという言葉だけで藤岡選手の強さは語れないだろう。そういう思いから、今回直接お話を伺うことにした。

そこから見えてきたのは「運試し」や「神様」という言葉を用いながらも、覚悟を決め、そのためにできることを常に自分と対話しながら、一つずつ重ねていく姿だった。抗うのではなく自分の立つべき場所を見て、周りに流されることなく、時代や人のせいにすることなく、自分の意志に沿って進んでいくこと。その真摯な姿勢が、「超人」「レジェンド」と言われる選手を作り上げているのかもしれない。

藤岡 奈穂子(ふじおか なおこ)

1975年8月18日生まれ、しし座、B型。WBA世界フライ級王者、日本人初の世界主要団体タイトル5階級制覇王者。宮城県大崎市出身。高校卒業後は宮城県ソフトボール実業団「トーテック」に23歳まで所属し、その後にアマチュアボクシングへ転向。 2003年アジア選手権銅メダル、2004年アマチュア国際女子トーナメント銀メダル。 2009年6月プロ転向(T&Hボクサフィットネスジム所属)。9月にデビュー戦で勝利。以降、数多くの世界ボクシング団体のタイトルに挑戦し、国内のみならず“世界の藤岡”として女子ボクシング界のパイオニアとして君臨。そのアグレッシブで攻撃型のファイトスタイルは、観るものを魅了する。得意技は左フック。

 

[著者プロフィール]

たかはし 藍(たかはし あい)
元初代シュートボクシング日本女子フライ級王者。出版社で漫画や実用書、健康書などさまざまな編集経験を持つ。スポーツ関連の記事執筆やアスリートに適した食事・ライフスタイルの指導、講演、一般向けの格闘技レッスン等の活動も行う。逆境を乗り越えようとする者の姿にめっぽう弱い。
Twitter】【Instagram