「あなたの人生の使命は?」と聞かれたとき、何と答えるだろうか。今自分がやっている仕事について、「これは私の使命だ」と言える人は多くないかもしれない。

「ラグビー選手のように働くと、いかに楽しいのか。企業の従業員に『ラグビーみたいに、ラグビー選手みたいに働く』ということを語れる研修講師がいないかと思っていて、そしたら僕の部下にキミがいたんだ。」

そんな何気ない上司の言葉がキッカケで、“タグラグビーを使った体感型企業研修”という斬新なアイデアを生み出した人がいる。それが、元プロラガーマンの村田祐造さんだ。かつてはラグビー日本代表として、2003年のラグビーワールドカップに出場した経歴を持つ。現在は、「笑顔ではたらく大人をふやす」がコンセプトのスマイルワークス株式会社で代表取締役を務める傍ら、東京セブンズラグビーアカデミーのラグビースクールでヘッドコーチとしても活躍している。そして、ラグビーを使った企業研修を通して企業の社員や指導者達に「心で繋がることが、いかに仕事を楽しくするのか」を伝え続けている、いわば“心とチームワークのエンジニア”だ。

では、なぜ村田さんはラグビーを選んだのか。そして、何を思ってラグビーの道を歩み続け、何を伝えていきたいと思っているのか。過去から現在に至るまでのユニークな人生を振り返りつつ、彼が抱く信念や想いを伺った。

目次

すべての始まりは、キッカケに出逢い気付くこと

村田さんがラグビーと出逢ったのは、野球少年だった小学生の頃。ある試合中、ボテボテのゴロでアウトにも関わらず、必死に一塁へとヘッドスライディングした。痛みで泣くのを必死にこらえながらベンチに戻ってくる村田さんに、当時のコーチは「お前はラグビーに向いている」と言ったのだという。コーチにとっては、何の気もない一言だったのかもしれない。しかし、この言葉が、その後の村田さんの人生を左右する大きなキッカケとなるのだ。

「野球を一生懸命やっているのにボテボテのゴロしか打てなくて、何とかセーフになりたくて必死に一塁に頭から突っ込み、アウトになりながら擦りむいて泣きべそかいていました。そんな野球少年の自分にとって、コーチからの一言は少し傷つきましたが、『確かにラグビーに向いているかも』と直感的に思ったんです。そこから、ラグビーを始めてみたいと思いました。」

野球少年時代のエピソードをもとに、村田さんは「コーチが小学生にどんな言葉をかけるのかが、いかに重要であるか。そして、その言葉はときに、小学生の人生をも変えてしまうことである」と振り返る。

どんな言葉をかけるのか。これは、子どもだけでなく大人にも共通することだろう。言霊というものがあるように、どんな言葉にも必ず何かしらの影響力がある。村田さんが受けたコーチの一言は、「ラグビーをやってみたいかもしれない」「ラグビーが好きかもしれない」と直感的に気付かせ、ラグビー道を歩み始める一つのキッカケとなったのだ。

ラグビーで生きていこうと決めたキッカケ

高校で本格的にラグビーを始めた村田さん。ずっとやりたかったラグビーができる環境を手に入れられたものの、今後の将来像が見えず悩んでいた時期があったという。

「自分は、結局どういう人生を歩めばいいのだろう。そんなことを、ずっと考え続けていました。」

学生時代、何になればいいのか分からないという悩みを抱え続けた村田さん。そんなタイミングで、またしても2つのキッカケが突然訪れた。そのうちの1つは、高校時代に村田さんが通っていた塾の講師が放った言葉だ。

「君は絶対に東大へ行ける。君が東大に行けないなら誰が行くんだ。」

その言葉によって、ぼんやりとしていた村田さんの将来像に、東大進学という具体的な目標が加わった。そしてもう1つのキッカケが、ある日にコンビニで見かけた本の言葉。その本には、人生を100倍楽しむために次の3つ必要だと書かれていたという。

  1. 好きなことを仕事にする
  2. それで食べていくことができる
  3. 人から喜ばれて評価される

これらが揃ってこそ、自己実現であると。この言葉を見たとき、村田さんは心の底から「こんな生き方がしたい」と感じたそうだ。

「その本を見たとき、自分の好きなことが何なのか考えたら、ラグビーしか出てきませんでした。自分の体にも合っているし。今やりたいのはラグビーだと。」

自分の内にある、ラグビーへの熱意に気付いた村田さん。しかし、いざ大学進学を決めるときには、完全にラグビーの道一本には決めきれなかった。

ラグビーからヨットの世界へ

大学受験では、一度東大に落ちてしまった。しかし、やはり諦め切れずに二度目の受験。そして、念願叶い東大に合格できた村田さんは、再びラグビーを始めた。そして、将来のビジョンが決めきれないまま、とりあえず精密機械工学科に進んだ。しかし、ここでもやはり自分のいる環境に違和感を覚え始める。

「精密機械工学科に進んで、ロボットの開発などを学んでいました。でも、それがあまりピンと来なかったんです。そのとき、やっぱり自分はラグビーが好きだと思いました。でも、4年間ラグビーを続けてきた体が痛すぎて、ずっと一人の選手として頑張るのは、本当に自分がやりたいことではないかもしれないと思っていたんです。」

そんなときに出逢ったのが、レーシングヨットを開発しているアメリカズカップの技術の本だった。いわば、スポーツでエンジニアリングができる世界。ラグビーを一生やることに限界を感じていた村田さんにとって、やりたいことがようやく見つかった気がしたという。

そして、大学院でレーシングヨットの世界に飛び込み、技術開発に携わった村田さんは、ハイレベルなヨットを開発できた。それは、アメリカズカップでも十分に立ち向かえるほど、高い技術が詰め込まれたヨットだった。しかし、村田さんたちが開発したヨットで試合に出たチームは惨敗。原因は、ヨットの質でもチームのスキルでもなく、ガタガタなチームワークだったという。

「せっかく良い船を作ったのに、何をやっているのか。人の仲が悪くて負けるなんて、ありえないと思いました。ラグビーをやめて技術の世界に入り、レーシングヨットを設計してみたものの、チームワークが原因で負けてしまうことがあることを知ってショックでしたね。」

それからは、プツンと糸が切れたように何もやる気が起きなくなってしまった村田さん。しかし、チャンスの神は村田さんを見捨てることはなかった。突如、村田さんのもとにプロラグビー選手へのオファーが届いたのだ。

スポーツに関する技術の世界に入ってみたものの、“心とチームワーク”が原因で負けてしまった。だからこそ、もう一度それを探求するつもりで、ラグビーの世界に入り直すことを決断した。これが、村田さんに“人生の使命”を気付かせる大きなキッカケとなったのだ。

プロラガーマンからチームワークエンジニアへ

再びラグビーの道に戻ってきた村田さんは、技術者の目線でラグビーを探求し続けた。それが自分のやりたいことだと信じ、ラグビーを通してひたすら“心とチームワーク”を研究していった。その結果、ラグビー分析ソフトが出来上がり、これを日本代表に提供。そのまま、ラグビー日本代表のコーチにまで一気に駆け上がることになった。しかし、村田さんの快進撃であらゆることが順調に進むも、ここでもまたピンチが訪れる。

「結局、技術の世界で開発したデータで選手とのコミュニケーションや練習を進めていると、選手の心がバラバラになっていきました。やはり、データでは機械的になってしまうので、人の感情が反映されなかったんです。」

エンジニア目線で開発したラグビー分析ソフトも、結局は“心とチームワーク”を解決できなかった。ここで村田さんは、ようやく気付いたことがある。

「機械的なものではなく、『いつもありがとう』『みんなすごいぞ』『試合に出られない人たちのためにも頑張ろう』といった感覚。つまり、心から力が湧くことが必要だなと。そのための感動的な経験を作るのも、チームワークのうえで大事な仕事の半分だと思いました。」

機械的な分析ではなく、選手の心を動かすことが大切だと気づいた村田さんは、選手が感動するようなビデオを編集して見せた。すると、狙い通り選手たちは大感動。選手たちの試合のパフォーマンスも格段に上がったという。その熱い試合の様子を見て、自身も嬉しさから大きく感動した村田さん。人をコーチするという仕事がいかにいい仕事なのか、そして“心とチームワーク”がどれだけ重要なのかを身にしみて感じ、これがチームワークエンジニアへの道を進むキッカケになった。

タグラグビーを使った企業研修という天職

ラグビーワールドカップが終わり、村田さん自身も選手に戻ったあるときのこと。かつての上司から、村田さんの未来に繋がる次のような言葉が送られた。

「トップリーグでラグビーを支援している会社は多いが、なぜラグビーを支援しているのか。それは、経営者が社員たちに『ラグビー選手のように働いてほしいから』だ。困難があっても突っ込んでいく。一人では無理でも、みんなで繋いで協力して突破していく。仲間と協力して突破・守り切るというのを社員にもやってほしいから、そのシンボルとしてラグビーを応援しているんだよ。だから、君には企業の従業員に、『ラグビーみたいに・ラグビー選手みたいに』働くことを語れる研修講師がぴったりだと思う。」

これを聞いたとき、村田さんは自身が17歳の頃から探し求めていた「好きなことを仕事にする」というものにやっと出逢えた気がしたのだという。

「ラグビーの本質である“心とチームワーク”が好き。これを仕事にして、それで食べていくことができて、社会に貢献できる。まさに、これこそやりたかったことだと思いました。」

そして31歳のとき、ようやく村田さんの思い描いていたものが“タグラグビーを使った体感型企業研修”という形で完成する。ラグビーによって心とチームワークを育成する仕事が、村田さんが長年にわたり探し求めていた天職となったのだ。

掴み取った人生の使命

たくさんの困難や失敗、変化、成長があった村田さんは、自身の人生に訪れるさまざまなキッカケを見逃さず掴み取っていった。だからこそ、ラグビーを使って心とチームワークを伝えるという人生の使命に出逢えたのだ。その秘訣について、村田さんは次のように話してくれた。

「心と体の声をしっかり聞いてあげてほしい。ときに、自分の頭は邪魔をして間違った選択をさせようとしてくる。『こっちの方がお金になる』『世間からこう思われてしまう』といったように、本当にやりたいこと以外を選択してしまう。だから、よく本当にやりたいことの声を聞いて、キッカケを掴んで飛び込んでみてほしい。そうすれば、人生の使命ともなる仕事や、やりたいことに出逢える人生がやってくる。」

村田さんは、大好きなラグビーを通して多くのキッカケを掴み取り、自分の心が動く方へと舵を切ってきた。だからこそ、現在はチームワークエンジニアという天職で活躍し続けている。

今の自分がやっていること、あるいは進もうとしている道は、果たして本当に自分が望んだものだろうか。キッカケを見逃しておらず、その道で“人生の使命”と言えるものに逢いに行けるだろうか。村田さんのラガーマン人生の歩みを自身の人生に置き換えて考えたとき、何か少しでもキッカケとなるものに出逢えたら、どうかそれを掴んで離さないようにしてほしい。

村田 祐造(むらた ゆうぞう)

元ラグビー日本代表。スマイルワークス株式会社 代表取締役、東京セブンズラグビーアカデミー ヘッドコーチ。

By 舘 明奈 (たて あきな)

年長から地元の福井でバトントワリングを始め、高校では映画『チア☆ダン』のモデルである福井商業高校のチアリーダー部・JETSに所属。全国大会・全米大会優勝を果たし、3年次にはカーネギーホール公演にも出演。動物看護師として働いた後、2022年2月に退職して独立。現在はダンサー、Webライターとして活動中。『ココロおどる♪ダンススクール』のコーチも務める。

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