「人間と馬が対決するマラソン大会」(Man versus Horse Marathon)という珍しい大会が、毎年6月にウェールズで行われている。距離は35㎞なので、正確にはマラソンではない。ロードとトレイルが混じった山中のコースで、人間と馬が混ざって長距離走のタイムを競うものだ。

*1. 大会ウェブサイト

この大会は1980年に始まった。新型コロナウイルスの影響で中止になった2020・2021年を除き、2022年で21回を数える。過去の優勝者は馬が18回、人間が3回だ。2022年大会は有名なトレイルランナーであるリッキー・ライトフット氏が、人間としては15年振りとなる優勝を飾った。

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馬より人間の方が暑さに強い

やはり、馬の方が人間より走ることには長けているのだろう。そう考えることは自然だが、必ずしもそうではないとする説が人類学にはある。はるか有史以前の狩猟採集時代、人類は自分たちより速く走る獲物を追いかけるために、特に高温下で長距離を走り続ける能力を他の動物以上に適応させていったというものだ。この説を、実際のレース結果を解析することで証明した研究論文(*2)が2020年6月に発表された。

*2. Are humans evolved specialists for running in the heat? Man vs. horse races provide empirical insights

この論文を発表したのは、イギリス・ローハンプトン大学の生物学者ルイス・ハルシー氏とボツワナ野生動物保護トラストのカレブ・ブライス氏である。両氏は前述したレースに加えて、テビス・カップ(馬)、ウェスタンステイツ・エンデュランスラン(人間)、そしてオールド・ドミニオン(人間)といった100マイル(160キロ)レースの記録を解析した。比較対象データは、延べで260人の人間と350頭の馬に及んだということだ。

研究の結論は、次の通りである。高温の気候はどちらのグループにも走るスピードに影響を与える。しかし、その影響の度合いは人間よりむしろ馬の方に大きい。論文著者たちはこの研究結果を、初期の人類が進化の過程で狩猟に適応していったとする仮説を証明するものだと述べている。

そうかもしれないし、そうでないかもしれない。個人的に人間には、それもわざわざ長距離を好んで走るウルトラランナーのグループには普通の馬よりも根性が備わっているから、暑さに耐えられるのではないかという仮説も棄て去ることはできない。

あるいは、モチベーションの側面もある。「馬の鼻先に人参をぶら下げる」という表現があるが、人間は物理的な見返りがなくても、誇りとか達成感のような感情のためにも走ることができる。『走れメロス』のメロスだって、友情のために走ったではないか。それはさておき、人間は十分な訓練を積み、そして入念な対策をすれば、猛暑のなかでも馬よりも長く走れるようである。

前述のウェスタンステイツ・エンデュランスランはウルトラマラソンのメジャー大会のひとつだが、元々は馬が走っていた山岳コースを人間が走ってみたことが始まりだ。毎年夏のさなか、6月の最終週にカリフォルニア州の山中で行われ、レース中の最高気温は摂氏35度を越えることもある。

地球上の最高気温を記録したこともあるデスバレーで行われる「バッドウォーター・ウルトラマラソン」は、そのもっとも暑い時期である7月中旬に135マイル(217 km)を走る過酷なレースだ。これなどは、馬でさえ走れないのではないだろうか。2022年大会では、日本人の石川佳彦選手が自身2度目の優勝を飾った。こうしたウルトラマラソンは、極端なサンプルかもしれない。しかし、それでも紛れもない人間が成し遂げた実例であることは間違いない。

女性の方が男性より暑さに強い

もうひとつ、興味深い説をご紹介したい。馬より高温下で走ることに適している人類の中でも、女性の方が男性よりさらにその傾向が強いというものだ。ここ数年、ウルトラマラソンのレース出場者に占める女性ランナーの参加比率が増えた。そればかりではなく、女性ランナーが男性ランナーを抑えて優勝するケースさえ珍しくなくなってきている。2020年4月にイスラエルと米国の軍隊組織に属する生理学者たちが発表した研究(*3)は、そうした耐久系イベントにおける女性の台頭に着目したものだ。

*3. Sex Differences in Human Thermoregulation: Relevance for 2020 and Beyond

その研究によると、女性の方が男性より高温からの影響を受けにくいということである。論文著者たちは、「最も過酷なイベントを含めて、ほとんどの身体活動において、女性が参加することは男性より危険だと判断する生物学的根拠は存在しない」と結論づけている。その理由として、女性の方が体内に貯蔵する脂肪の量が多く、一方で筋肉量が少ないため、長時間の運動をする際にエネルギーを効率的に使用できるのではないかと仮説を述べているのだ。

この仮説についても、そうかもしれないとしか言えない。それが正しいのなら、小太りの男性はそうでない男性より、暑さに強いということになりはしないだろうか。そうした身体的な理由より、女性の方が男性より根性があるから、ウルトラマラソンに向いているのではという印象を拭い去ることができない。

By 角谷 剛 (かくたに ごう)

アメリカ・カリフォルニア在住。米国公認ストレングス・コンディショニング・スペシャリスト(CSCS)、CrossFit Level 1 公認トレーナーの資格を持つほか、現在はカリフォルニア州内の2つの高校で陸上長距離走部の監督と野球部コーチを務める。

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