2021年9月、女子サッカーのプロリーグである『WEリーグ』が開幕した。日本の女性活躍社会を牽引し、一人ひとりが輝く社会の実現を目指して設立されたリーグだ。しかし、業界内で期待が高まるのに反して、世間から認知度は低い。目標とする観客動員数5,000人に対し、観客入場者数は平均1,560人にとどまり、厳しい1年目となった。

※参考:.WE LEAGUE Data Site|年度別入場者数推移

そんなプロリーグ開幕を迎える1年前。京都府京丹後市で『リアルサカつく』と称し、先立って動き出している人がいた。それが、元なでしこリーガーの吉野有香さんだ。2020年に株式会社ゆかサルを設立し、代表取締役社長に就任。その2か月後には、『KYOTO TANGO QUEENS』(以下、クイーンズ)という女子サッカーチームを立ち上げた。2期目となる現在は、関西2部リーグで活動している。

業界全体が大きく踏み出して壁にぶつかっている中、「勝っても負けても応援されるチーム」という別の角度から女子サッカーを盛り上げる吉野さん。日々SNSで情報発信しながら組織を動かし、理想を体現していく。クラブ経営を通して、これから何を実現していこうとしているのか、吉野さんに詳しくお話を伺った。

目次

心が動く瞬間を作り出したい

クイーンズには現在、社会人選手5人、地元の中高生16人が在籍している。経営幹部は、長い目で人生を見ることにフォーカスして“選手の人生を見据えたクラブ設計”を行っていくと話す。

「5年後、10年後というのではなく、30年後にどうあってほしいのか。そういう目線で選手たちを見ています。成長過程として今を見たときに、何が必要なのかを見据えているのです。」

さらに吉野さんは、自らが経営するクラブを通して『感動の場』を提供したいのだという。

「心が揺れる経験は、人間が生きる上ですごく大事なことだと思うんです。私自身、高校時代を思い出すと、上にも下にも常に心が動いていました。その時間は、とてもよく覚えています。だからスポーツにおいて、あまり『心をどう動かすか』以外のことは考えていないですね。クイーンズを通して、感情を揺さぶられる経験をしてもらえたらと思っています。」

社会人になって生活していると、本気で悔しがり、涙を流すような瞬間は少なくなる。そんな中、自分たちが目の前の試合で精一杯に取り組む姿を見てもらいたいと、吉野さんは考えているのだ。

勝っても負けても応援されるチーム。そのコンセプトに向かって、経営陣は常に勝負の先を見据えている。選手の人生と応援してくれる人への感動を軸に、クイーンズは勝敗だけでは測れないスポーツが持つ可能性を引き出していく。

怪我に苦しんだ現役時代

現在、経営者として女子サッカーと関わっている吉野さん。選手を引退後はフリーランスとして、メンタルコーチやテレビ番組のMCなど多方面に活動していた。一見すると、華々しいキャリアを歩んでいるように映るかもしれない。しかし、実際の思いは大きく違っていたようだ。

「サッカーをやめた自分には本当に価値がない、死んだ方がマシだと思っていました。でも、そんな底辺のところから、今は会社を立ち上げてクラブを経営しています。」

小学生の頃は学級委員や生徒会長、中学でも生徒会の副会長を務めるなど、皆の中心で目立っていた吉野さん。すべての物事で1番になろうと、何に対しても頑張る子だったという。サッカーを始めたのは小学1年生のとき。高学年になると地域や県の選抜に呼ばれるようになり、中学では全国から将来有望な選手が集められるナショナルトレセンにも選出された。

高校は、全国有数の強豪校である常盤木学園に入学。しかし、入学直前に膝の靭帯を損傷した吉野さんは、リハビリからのスタートとなった。その後も在学中は思うような結果が残せず、3年生のときにはマネージャー職も兼任。秋に前十字靭帯を断裂してからは、Bチームの練習メニューを考えて指導も行っていた。

高校卒業後はスペランツァFC大阪高槻(当時なでしこリーグ1部)に入団。しかし、2度目となる前十字靭帯の断裂を起こし、3シーズン目に戦力外通告を受けた。その後はバニーズ京都SC(当時なでしこリーグ2部)に移籍するが、3度目の前十字靭帯断裂。たびたび怪我に苦しんだ末、24歳で再び戦力外通告を受けると、そこで引退を決めた。

好きで始めたサッカーが、辛いものになった時期もあったという吉野さん。引退後はサッカーをやめた自分が歩むべき道を探し、5年間もがき続けた。そして現在は、社長としてクイーンズの選手たちと関わっている。

「とにかく私は、自分との対話を繰り返してきました。今は、自分自身が何を得意とするのかを理解して、自分の価値に気が付くことができています。でも、それは私が経営者だからというわけではありません。起業家と呼ばれることも、あまり好きではないんです。どうしてもこういう人にスポットが当たりやすいけれど、もっとも大切なのは幸福度をどこに感じるのか。私たちはみんな、生きているだけで素晴らしいと思っています。」

選手時代を経て、今度はチームを運営する側に立った吉野さん。自身が経験してきたからこそ、形にできるものがある。すべての経験は、これからの組織作りの土台となっているようだ。

「人生はサッカーだけではない」現場から伝える想い

吉野さんたち経営陣は、試合だけでなく練習にも毎回顔を出している。練習メニューや試合の采配は監督に任せているが、試合に出るメンバーはスタッフ全員で決めているのだとか。小さな組織でも、試合に出る選手と出ない選手は存在する。メンバー外は取締役の平林さんと一緒に試合を観戦するなど、選手に疎外感を与えないよう配慮を欠かさない。

選手の親御さんにも「何かあったらいつでも言ってください」と伝え、積極的にコミュニケーションを取っている。吉野さん自身、選手のことについて直接相談を受けることもあるが、そんなときは自らが選手として経験したことを話すそうだ。また、メンバーから外れてしまった選手について家での様子を聞くなど、グラウンド以外でのことにも気を配る。サッカーに取り組んでいるからといって、サッカーだけで成功する必要はまったくない。今のサッカー界に、そう言ってあげられる指導者が少ないと吉野さんは話す。

「今のレベルだからできることかもしれませんが、そういう配慮は続けたいと思っています。選手たちに、自分に価値がないと思われたら嫌だから。例えば『あなたは下手だからダメですよ、頑張って練習してください』と言われてしまう。うちのチームには中学生が多いのですが、どの子もみんな素晴らしい選手たちです。今たとえ下手だって、別に構わないんですよ。一生懸命やって努力が実らなくても、サッカーとは別の道があって、違うところで輝くだけ。その後の可能性は無限だと思います。」

今試合に出ていないという目の前の事柄に一喜一憂するのではなく、選手たちが本来持っている自身の魅力を伝え続ける。そのために、今日も吉野さんは練習に足を運ぶ。

いつでも契約満了を伝えられるクラブ

「運営側は選手に対して、いつでも戦力外通告を出せる関わり方をしなければいけないと思っています。」

この吉野さん言葉に、クラブを率いる人間としての覚悟がにじみ出ていた。WEリーグではプロリーグとしてサッカーが仕事になる以上、結果が求められる。2022年5月には初年度のリーグが終了したが、来期に向けた選手の動きが見られると、チームから発信される退団のお知らせには「契約満了」の文字がちらほらと並んだ。プロだから仕方のないことだと言いつつ、自分が経験してきたからこそ、吉野さんは選手たちの気持ちに思いを巡らせる。

「やっぱり数字と向き合わなければいけないので、クラブも苦渋の決断だったのだろうということは分かります。ただしプロ化してから、選手への精神的なケアがどれだけ行われているのかは気になりますね。」

選手たちは1年間を通じて結果が出なければ、来年の契約はないという不安を抱えながら生きている。吉野さんは、この点について強調しながら話を続けてくれた。

「自分の友達も、今年で契約満了を言い渡されていました。シーズンの終盤、そう伝えられたときの焦りを想像すると、すごく苦しいです。自分のチームがWEリーグに行きたいと思っているからこそ、戦力外を受けたとしても『終わったわけじゃない、大丈夫。』と思ってもらえる環境を整えなければいけないと思っています。」

そのために大前提として必要なのが、安心感や愛情。具体的には自分が試合に出られない、あるいは調子が上がらないときに相談できる場所を必ず設けること。クラブは選手を一人の人間として見ているのだと、認識させる必要があると言う。そして吉野さんは、選手たちをケアできる保健室を作りたいとも語ってくれた。

「クラブを学校みたいな形にしていきたいです。みんなが自由に学べる状況を用意しておく。自分のチームがプロ化するときはクイーンズスクールみたいなものを作り、そこに選手たちが通えるようにしなければいけないと思っています。自分が好きなことを見つけられて学べたり、起業に挑戦したりしてみるコースも良いですね。何もやりたくなければ、別にそれでも構いません。ただ、自由に興味を持った何かを選択できる環境は創りたいです。」

現在、関西2部リーグに所属しているクイーンズは、WEリーグへの参入を目指している。今どれだけ仲が良くても、これから実際に選手を切る日は訪れてしまうだろう。だからこそ、いつそうなっても大丈夫な状態でなければならないと、吉野さんは話す。

「自己肯定感が低い中で戦力外を出すのと、高い中で戦力外を出すのとでは、まったく違うと思います。運営側が選手に対し、『私はサッカーをしてもしなくても価値があるのだ』というマインドを落とし込んでいかなければならないと考えているんです。」

『契約満了』という言葉がマイナスな意味で使われる中、それすらも越える組織を創る。吉野さんが描くものは、いつだって自分の経験が反映され、選手を第一に考えられているのだと感じた。

地域を巻き込み世界を変える

どうしたら理想を実現できるのか。そのことを突き詰めて考えたとき、『変えたい』という言葉のままではいけないというのが吉野さんの考えだ。

「幸福度の高いチームがあれば、地域を巻き込むことができると思っています。でも、私だって人間です。だから『変えたい』の中には、自分の悔しかった想いをなくしたいというエゴが多少は入っていると理解しています。まずは、それを取り除きたい。そのエゴがクリアになって『そろそろ変わるよ』と言い始めたとき、きっと私は本当に世界を変えられるのでしょう。」

経営陣から、選手へ。チームから、応援してくれる人へ。一人ひとりを大切にする姿勢が地域へと広がり、やがて女子サッカー界全体を巻き込んでいく。吉野さんの率いるクイーンズは、京丹後から世界をより暖かい場所に変えていくのかもしれない。

吉野 有香(よしの ゆか)

元なでしこリーガー。引退後は番組MCやメンタルコーチを経て、2020年に株式会社ゆかサルの社長に就任。京都府京丹後市で、関西2部リーグのKYOTO TANGO QUEENSという女子サッカーチームを経営。WEリーグ参入を目指している。

By 伊藤 千梅 (いとう ちうめ)

元女子サッカー選手・なでしこリーガー。現役中はnoteでの活動を中心に発信。引退後はFCふじざくら山梨のマッチレポートの執筆を行う。現在はフリーライターとして活動中。

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