2022年のサッカーW杯で最優秀選手に贈られるゴールデンボール賞を受賞し、アルゼンチン代表として優勝に大きく貢献したリオネル・メッシ選手。彼が現在所属するチーム『パリ・サンジェルマン』では、ある競技がリカバリートレーニングとして行われている。それが、2012年にハンガリーで創設された、卓球とサッカーを融合させたようなスポーツ「テックボール」だ。

テックボールはアーチ状に湾曲したテックボール台の上で、足を使ってラリーを行う。自分がボールを触られる3タッチの間で駆け引きを行い、時にずる賢く、時に圧倒的なスピードで点を取り合う。メッシ選手が所属するチームのほかにも、サッカー界を中心に各国に広まっている競技だ。

2022年11月に行われたテックボール世界大会『Teqball World Championship 2022』には、日本代表選手として4人が参加した。そのうち、女子シングルスでベスト16の結果を残したのが菅原佳奈枝さん。2017年の第1回大会で唯一の女子選手として大会に出場した、世界のテックボール業界における先駆者だ。菅原さんはこれまでに、サッカー、フットサル、そしてフリースタイルフットボールを経験。その後、テックボールに転向している。数々の競技経験から菅原さんが女性という立場で感じてきたこと、そしてテックボールを通して成し遂げていきたいことを伺った。

目次

置かれた環境で浮かんだ疑問

菅原さんが最初にボールを蹴り始めたのは小学校2年生のとき。兄の影響でサッカーを始めた。小学4年生まで男子チームでサッカーを続けると、小学校高学年は女子チームで活動。中学ではクラブチームと学校の部活を掛け持ちするなど、より強くなろうとボールを追い続けることが、菅原さんにとっての日常だった。

しかし、高校へ進学する際、その日常に変化が訪れる。男子と比べてサッカーを続けられる環境が少ない女子が強豪チームへ行くには、遠方まで通うか寮に入る必要があった。金銭面に苦労があった菅原さんは、家族に迷惑をかけたくないと強豪チームへの入団を断念。当時、高校年代の男子チーム数が全国に4,422チームあったのに対し、女子チームは全年代を合わせて1,054チーム。男子の4分の1にも満たなかった。この頃から、菅原さんは自分を取り巻く環境に対して疑問を持つようになったという。

「メディアにも、なぜ男子ばかり取り上げられるのだろうと悔しく思っていました。その頃から、ただ競技をするだけではなく、どうしたら女子サッカーの環境を改善できるかを考えるようになったんです。」

もともと足元の技術やシュート力に自信があった菅原さんは、高校3年生のときにサッカーからフットサルに転向。アイドルグループのモーニング娘。などが属する『ハロー!プロジェクト』で女の子のサッカー人口を増やす普及活動のために発足されたチーム『Gatas Brilhantes』(以下、ガッタス)で活動を始めた。

「女子選手の環境を変えていきたいと思っていた私の考えと一緒だと感じ、ガッタスを通じて、フットサル界からサッカー界まで盛り上げていこうと所属を決めました。」

フットサル関東リーグのチームに移籍するまで、菅原さんは7年間ガッタスでの活動を続けた。

自らの背中で、女性たちに勇気を与えたい

フットサルを始めたのと同時期に、現在のテックボールのミックスダブルスの相方でもあるフリースタイルフットボーラーのWASSEさんと出会った。当時、サッカー以上にフリースタイルフットボールをしている女性は珍しく、サッカー・フットサル以外でも女性が輝ける場所を作りたいと活動を始めたという。JリーグのイベントパフォーマンスやCM出演などの活躍が日本代表を探していたテックボール協会の目に留まり、菅原さんに声がかかった。

当時26歳と、20代後半に差し掛かっていた菅原さん。新しい競技で日本代表を担うことに、最初は躊躇もあった。それでも最後に踏み出すことを決断したのは、自分が新しいことに挑戦する姿で、女性たちに勇気を与えたいという思いがあったからだ。

「その頃、自分の周りは出産や結婚のラッシュで、自分のやりたいことがやれないという人が結構多かったんです。それなら、立場は違っても同世代の私が闘っている姿を見せることで、少しでも背中を押してあげられたらと思って引き受けました。」

そして、2017年に日本を背負い、第1回テックボールW杯に出場した菅原さん。大会に出場した女性は世界中で一人。現地では観戦にきていた女性たちから、直接「あなたは女性の宝よ。勇気をもらった。」と声をかけられた。その後にテレビの密着取材を受けると、知らない人からもSNSを通して前向きなコメントをもらうことが増えたという。

「今しかできないことを、後悔ないところまでやり続けたいです。チャレンジしたいけど踏み出せないという人がいたら、ただがむしゃらに突き進む私を見てもらえたらと思っています。」

女性たちに勇気を与える。その思いを体現するため、菅原さんは世界の舞台で闘い続けている。

目標のため、過酷な状況でも競技し続ける

テックボールは2017年に国際連盟(FITEQ)が設立され、141の地域で国内連盟が発足された。世界中で急速に広がりを見せている競技ではあるものの、日本でプレーするとなると環境は厳しい。

菅原さんが、特に苦労しているのは金銭面。練習場所への交通費やケアもすべて実費。試合の際もトレーナーが帯同できないため、筋肉をほぐす作業やウォーミングアップも自分たちで行う。また、テックボール台が置ける場所が限られているため、練習場所が遠く開始時間は22時を過ぎることもあるそうだ。

「昼間はフルタイムで働きながら、夜に練習しています。夜中の2時近くに帰ってきて、また翌日朝に仕事へ行くという生活です。普及活動のために土日はイベントに行くことが多いので、1週間で1日も休みがないこともありますね。それでも、ミックスダブルスとシングルス、女子ダブルスで世界一になることが自分自身の目標です。また、テックボールをオリンピック競技にしていく動きも出ているので、一人の競技者として携わっていけたら嬉しいですね。」

マイナー競技としての現状は厳しい。しかし、大会が始まってテックボール台の前に立ったとき、置かれている環境は関係ない。目の前の相手に勝つために、菅原さんは休む間もなくトレーニングを続けているのだ。

3回のリフティングで参加できる競技

テックボールにおいて楽しいと感じる瞬間は、攻守にあるという。

「私は身長が159㎝と世界ではかなり低く、テックボールをするうえでは不利になります。でも、身長のハンデに関係なく、速い球で相手コートにボールを打ち込んで点を決める瞬間は気持ちいいですね。逆に、相手からの速い球を受け止められたとき。私はボールコントロールが得意なので、世界の舞台でレシーブできたときは自分の技術が通用すると感じて嬉しくなります。」

競技者たちのプレーを見ると、難しく感じるかもしれない。しかし実際、テックボールは老若男女を問わず楽しめる競技だ。例えばボールを蹴った経験が少ない人でも、経験者とダブルスを組むことでプレーは可能だという。

「相手のコート付近でボールに触るだけで、初めてのプレーでも点を取ることができます。テックボールという競技と出会ったとき、フィジカルコンタクトもないので、男性はもちろん女性も楽しめると思いました。」

テックボール協会もホームページで、気軽に始められる競技であることを伝えている。ボールを3回リフティングできれば、テックボールに参加できるとのことだ。このことから、見た目ほどテックボールへのハードルは高くはないと言えるだろう。

テックボールを一つの選択肢に

さまざまな競技に関わってきた中で、菅原さんが根本で持ち続けているのは「女性が蹴れる環境を増やしていきたい」という思いだ。今も課題は残るものの、女子サッカーはプロリーグである『WEリーグ』ができ、菅原さんが高校生だった頃よりも全国におけるチーム数は300ほど増えている。サッカーをやめた後、フットサルやフリースタイルフットボール、その他のスポーツに転向する選択肢も少しずつ広がってきた。だからこそ、テックボールという選択肢は自分が作っていきたいと菅原さんは意気込む。

「テックボールはマイナー競技なので、まだあまり知られていません。だからこそ私がテックボールを、ボールを蹴っている女の子たちの選択肢として確立させたいと考えています。他の競技の普及は誰かができても、現時点でテックボールの普及は私にしかできないことだと思っています。」

今後は女子のクラブチームにテックボール台を無償提供し、WEリーグのチームにまで普及していきたいと話す。実際に活用してもらうことで、テックボールを知ってもらう機会を増やしていきたいという。

「環境がなくて蹴れないと思っている子たちに、新しい環境を提示してあげたいです。いろんな方向性を作っていくことが、今の子どもたちの為だと考えています。」

サッカー、フットサル、フリースタイルフットボールと、時代に先立ってプレーしてきた菅原さん。次世代の選手たちに、今度はテックボールという選択肢を加えるため、環境改善に取り組んでいく。置かれた環境を嘆くのは簡単だが、実際に自らの力で環境を変えていくのは難しい。それでも、菅原さんはテックボールの現場で日の丸を背負うことで、ボールを蹴り続けたい女の子たちに新たな場所を作っていくのだろう。

一般社団法人 日本テックボール協会ホームページ

菅原 佳奈枝(すがわら かなえ)

テックボール日本代表。サッカーを小学2年生の頃から始め、高校3年生からは「Gatas Brilhantes」というフットサルチームに所属し、同時期にフリースタイルフットボーラーとしても活動。26歳でテックボールに転向し、2017年第1回テックボールW杯には唯一の女子選手として出場。個人でベスト16、ダブルスでベスト8の成績を残した。2022年11月には、第5回目のW杯に出場し、女子シングルスでベスト16の結果を残している。

By 伊藤 千梅 (いとう ちうめ)

元女子サッカー選手・なでしこリーガー。現役中はnoteでの活動を中心に発信。引退後はFCふじざくら山梨のマッチレポートの執筆を行う。現在はフリーライターとして活動中。

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