藤岡奈穂子は4年前から、「アメリカで試合する」と公言してきた。とある記者は彼女について、「藤岡さんほど、有言実行してきた選手を見たことがない」と言う。コロナ禍において、ボクシング興行の開催は難しい状況が続いている。そんな中で20217月9日の金曜日(日本時間710日)、藤岡は米国カリフォルニア州のビッグスタジアム「Banc of California」でこれを実現させた。この時点で、ボクシングの歴史に「日本人女性初」の記録が刻まれることになる。

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年齢差とブランク、2つの要素で圧倒的不利の予測

藤岡は、日本人ボクサー初の世界5階級制覇という偉業を成し遂げた、現ボクシングWBA女子世界フライ級王者だ。そして今回米国で行われた試合は、藤岡が持つタイトルをかけて行われるWBA女子世界フライ級タイトルマッチ10回戦。藤岡がボクシング王者として米国で試合をするのは、日本人女性として初となる。これまで日本人女性が米国で試合を行ったことはあったが、すべて挑戦者としてであり、王者として試合が組まれたことはなかった。米国というスポーツ大国、ボクシングの大舞台は世界各国のボクサーが目指す地であり、王者といえども望めば誰でも立てる舞台ではない。そんな中での試合実現は、藤岡の実力が認められた証と言えるだろう。

©2021 Al Applerose

対する選手はアメリカを拠点に活動する、メキシコ出身でWBO同級6位のスレム・ウルビナ(31)。1年半前から同階級王者の藤岡と試合を見据え、対戦したい旨を公言していた。この試合、現地でのオッズ(勝敗予想)は「藤岡30」「ウルビナ70」。藤岡は圧倒的に不利と予測されていた。その理由は、明確に2つある。

試合当時、藤岡は45歳である。これに対してウルビナ31歳と、年齢の要素は大きい。さらに藤岡は、前回の試合から約2年の間隔があいている。選手にとって試合の間隔があけば感覚が鈍ると言われており、約2年のブランクは不利を予測されるのに十分と言えるだろう。

ブランクの理由は、藤岡の5階級制覇王者という圧倒的な強さが、試合のマッチメークを難しくしていたこと。これに加え、やはりコロナによる影響は大きい。コロナ禍について、本人は次のように話す。

「自分の伸びしろに向き合い、目の前の課題を淡々とやっていたので、毎日とても有意義に過ごしていた。今回は、1年かけて自分の闘い方を見直す良い機会だった。パンチの精度を上げるトレーニングをしてきたので、試合が楽しみ。」

そして、試合間隔が空いたことについては「まったく問題ない」と答えた。

完全アウェイの中でゴングが鳴る

対戦者であるウルビナの出身地メキシコはボクシング大国だ。メキシカンがアメリカン・ドリームを掴むため、ボクサーとして米国へ進出することは珍しくない。例えば過去に米国で絶大な人気を博したオスカー・デラホーヤ(史上初6階級制覇王者、バルセロナオリンピック金メダリスト)もメキシコからの移民。同じように、ボクサーとして活躍したメキシコ出身の名選手は数多い。

今回の試合の興行主であるゴールデンボーイプロモーションズは、引退後のオスカー・デラホーヤが経営最高責任者を務めている。興行カードを見てもメキシカンの試合が多く組まれており、同胞の活躍を望む意図が垣間見られた。試合会場には同胞を応援しようと、地元のファンが数多く集まる。王者といえども、藤岡は完全アウェイの中で闘うことになるわけだ。

屋外に設置されたリングに西日が差し込む中、大歓声を受けてウルビナがリングイン。その後、金と赤の市松模様のコスチュームを羽織った藤岡がリングインした。両者リング中央で向かい合う。身長158cmの藤岡に対してウルビナは1センチほど低いが、大きく体躯に差はない。

コーナーに戻り、ゴングを待つ。藤岡にとっては、4年にわたり公言し続けていた夢の舞台が始まるのだ。

「記念で終わらせるつもりはない」

日本人として、さらにボクサー歴23年の威信をかけて、この試合に挑む。そしてついに、試合開始のゴングが鳴った。

闘い方を研究し尽くしてきた相手に、長期戦で前進を続ける藤岡

パワーと体力に自信をのぞかせるウルビナは積極的に前に出て、スピードのある力のこもった一発を放った。距離を取ってかわす藤岡は、様子を見るように時折出す左ジャブで自分の立ち位置を確認。藤岡が出す右ストレートに合わせるように、ウルビナは左の被せ気味のフックを見舞って藤岡の右頬をとらえる。続けて、藤岡の左ジャブと右ストレートのコンビネーション。これにも合わせるように攻撃を返すウルビナからは、藤岡を研究し尽くしてきた様子が伺えた。

©2021 Al Applerose

2ラウンド目に入り、藤岡が試合展開に変化を見せる。藤岡は重心を下げ、ウルビナのボディを執拗に狙う。ボディ攻撃から体勢を崩し、ガードが下がったところで仕留める展開に持ち込みたい。ボディをもらいはじめ、少し効いた様子を見せるウルビナ。体勢が前かがみになったところで、藤岡のアッパーがあごをとらえはじめた。プレッシャーをかけ続ける藤岡に、ウルビナは足を使ってかわそうとする。

アウェイの場では、僅差の試合展開で勝利することはほぼない。ボクシングは拳ひとつでのし上がれる競技だが、あくまで判定は「人」がするもの。判定の基準は分かれることも多く、特にアウェイでは圧倒的に優位な試合展開を見せない限り、勝利することは不可能だと思っていい。

8ラウンド。常にプレッシャーをかけ続け、手を休めることなくアグレッシブさを見せつける藤岡。後半に強い藤岡は、このラウンドからさらにウルビナを追い詰めていく。最高8ラウンドまでしか試合経験のないウルビナにとって、9回・10回のラウンドは未知の世界である。これを藤岡は狙っていた。しかし、ここまでスタミナを削るように前進して打ち合ってきた藤岡は、後半攻めきることができるのだろうか。

米国で勝利した初の日本人女性ボクサーへ

©2021 Al Applerose

藤岡は果敢にボディを打ち狙い、ガードが開いたところにアッパーを放つとウルビナの動きが止まる。ウルビナのパンチ力が、前半より格段に落ちた。最後まで手を止めることなく攻撃を続ける藤岡のスタイルに、ウルビナも右ストレートで応戦する。

最終ラウンドとなり、さらに回転力と圧力を強めて仕留めにかかる藤岡。圧倒的なスタミナで最後の力を振り絞るように、上下打ち分けるコンビネーションを見せる。そして、ゴングが鳴った。試合が終わったのだ。

©2021 Al Applerose

セコンドに抱き上げられるように、両手を高くあげるウルビナ。藤岡は微笑むようにセコンドへと戻ると、観客に向かって四方に頭を下げてまわった。両者が中央に呼ばれると判定のコール。藤岡が優位に試合を進めた印象だが、ダウンがないことと、アウェイで判定勝利が難しいこともよく理解していた。

そして静まり返る会場に、判定を読み上げた「Still(現王者)」の声が響いた。藤岡は王者としての防衛に成功したのだ。両手をあげられて勝利を称えられる。この時点で藤岡は、さらに日本のボクシングの歴史に記録を刻んだ。日本人女性が米国で勝利した「初」の記録として。

ボクシングに、そして勝利することに年齢は関係ない

地元の解説者は、藤岡のアグレッシブな闘い方に試合中から感嘆。「彼女、45歳!?」と驚き、試合中には「454545!」と連呼しながら称賛・絶叫していた。試合を終えた藤岡は、笑いながら次のように話した。

「勝った瞬間は勝てたという喜びとともに、『あー、まだボクシング人生が続くんだな』って思った。」

藤岡は負ければ引退を考えていた。45歳という年齢で、2年間も試合間隔が空いたこと誰がこのような闘いぶりを予測できただろうか。インタビューで、藤岡は言った次の言葉が印象的だった。

Age is just number.(年齢はただの数字)」

Age doesn’t matter.(年齢はまったく関係ない)」

藤岡は年齢についてよく取り上げられる、しかし年齢を考慮せずとも、その圧倒的なボクシングの才を称えられずにはいられない。スピードと瞬発力が要となる競技において、この年齢でまた新たな歴史を作ってしまったことも事実だ。いつだって力みのない藤岡の姿にこそ、不可能を可能にする秘訣があるのかもしれない。

 

[著者プロフィール]

たかはし 藍(たかはし あい)
元初代シュートボクシング日本女子フライ級王者。出版社で漫画や実用書、健康書などさまざまな編集経験を持つ。スポーツ関連の記事執筆やアスリートに適した食事・ライフスタイルの指導、講演、一般向けの格闘技レッスン等の活動も行う。逆境を乗り越えようとする者の姿にめっぽう弱い。
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By New Road 編集部

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