2023年8月11日、大阪府のエディオンアリーナ大阪第1競技場で亀田興毅氏がファウンダーを務める『3150FIGHT vol.6』が開催され、この第1試合に第41代OPBF東洋太平洋王者・長濱陸が登場した。長濱は怪我によって2021年に現役引退を発表し、後進の指導などにあたっていたものの、2023年4月に現役復帰。復帰戦を勝利で飾り、3150FIGHTへの出場を叶えた。復帰2戦目となるこの試合では元世界ランカーのジェアン・カルロス・トーレス(プエルトリコ)に0-3の判定で敗れたものの、持ち味のスピードは示している。1対1の戦いに挑み続ける長濱にお話を伺った。

目次

高校時代の挫折を経て新人王獲得

沖縄県で生まれ育った長濱は、小学生の頃に沖縄の伝統派の空手である“剛柔流”を約6年間習っていた。ボクシングに初めて出会ったのは、那覇高等学校に通っていた高校生の頃。ボクシング部に所属したが、この時は1年ほどで辞めてしまう。

「スパーリングが怖かったんですよ。まさかこんなに怖いものだと思っていなくて、嫌ですぐ辞めてしまいました。」

このときの心残りは、長濱のなかにくすぶり続けていた。その後は沖縄国際大学へと進学し、就職の際に上京。23歳になった時、気付けば体重は100kgにまで増加していた。ダイエットのために、白井・具志堅スポーツジムへと通うことを選択する。

「見た目が悪化したので、改善しようと思って始めました。ボクシングを選んだのは、恐らく高校生の頃の心残りがあったから。逃げたまま終わるのは、男として許せないという気持ちがあったからだと思います。」

この決断が、人生の転機となる。ジムの会長で元世界王者の具志堅用高氏に褒められたことで、火が付いた。ボクシングに急激にのめり込み、体重はみるみるうちに減っていく。2か月で20kg近く痩せ、プロ入りを目指すことに。

「具志堅さんがプロでやることを歓迎してくれて。動きを褒められたことがすごく嬉しかったんです。」

2015年にプロデビューを飾ると、同年、世界王者への登竜門とされる全日本新人王(ミドル級)の獲得にも成功する。

OPBF東洋太平洋ウェルター級王者に

2017年8月、井上岳志に挑んだ日本スーパーウェルター級タイトルマッチには敗れたものの、2020年2月に2度目のビッグチャンスが到来する。クドゥラ金子とのOPBF東洋太平洋ウェルター級王座決定戦。OPBFとは、アジアとオセアニア地域の16ヵ国・3地域が加盟するボクシング団体だ。激闘となったこの試合を、両拳を痛めながらも3-0の判定で勝利。第41代OPBF東洋太平洋王者に輝き、チャンピオンベルトを巻いた。23歳で初めて本格的にボクシングを始めるというのは、プロとしては遅めのスタートだ。それにも関わらずOPBFのベルトを獲得できたことについて、長濱はこう分析する。

「自分のことなので、人任せにしなかった。当事者意識を持って自分がどうすべきかを考え、自分のやり方でやってきたことが要因かなと思います。自分で調べたことや経験したこと以外は信じない。ただし、僕が正しいと思っているわけではないから否定はしないし、肯定もしません。よそはよそ、うちはうちです。」

この試合直後、新型コロナウイルスの流行により各ボクシング興行は中止。練習や試合ができない時期を迎え、長濱は空いた時間を活用して新たなことを始める。

「何かを変えなければいけないのだろうという自覚があったので、YouTubeやSNSに力を入れ始めました。ある意味では、いい契機だったなと思います。」

このときの種まきが、のちに繋がることになる。クドゥラ金子とのタイトルマッチから約1年後。2021年1月、長濱にとっては初防衛戦となるOPBF東洋太平洋ウェルター級タイトルマッチに挑むも、ベルト獲得の代償は大きかった。

突然の引退と後進の指導、そしてカムバック

初防衛戦として豊嶋亮太を迎え撃ったが、0-3の判定負け。大きな敗因は右目の怪我だった。

「実はクドゥラ戦のときに、ちょっとおかしくなっていました。自覚はあったもののあまり人には言えず、試合してみるとさらにおかしくなってきた。右目の神経が麻痺して、右目が動かないので相手の動きを追えず。相手がよく見えない、距離感が掴めない状態でした。」

瞬間的な動きが求められるボクシングにおいて目の怪我の影響は大きく、試合後は引退を決断する。その後は地元・沖縄の平仲ボクシングスクールジムでボクシングトレーナーを務めつつ、YouTubeへの動画投稿を継続していた。すると、動画を見て長濱の指導を受けたいという若者が数人、沖縄までやってきた。

「特に募集はしていませんでした。責任は取らないけれど、来たいなら来れば?という感じで、来た選手には指導していました。」

その中には、現在『第80回西日本新人王トーナメント』のバンタム級で決勝に進出した長岡嶺も含まれる。指導時に意識しているのは、価値観を押し付けず自分を認識させることだという。

「皆、自分自身がどうしたいかよりも、一般的な常識でどうすることが正しいのかを考えているんですよ。自分が実際に何をしたいのか、分かっている人はほとんどいません。選手が、自分自身はどういう存在なのか、何が好きで何が嫌いなのか、どこは譲れてどこは譲りたくないのかをしっかり認識できるように指導しています。その認識が、決断力にも繋がってきます。」

指導者として経験を積む一方で、手術した右目は少しずつ回復。そして2023年4月、2年3ヶ月ぶりにリングへのカムバックを果たした。

「自覚はなかったのですが、ボクシングを引退したとき、すでにもう1回やりたかったのだと思います。引退後は家庭も会社も仕事も失ってしまい、何しようかなとなった際に、もう1回ボクシングをやろうかなと考えていました。」

もう1度選手として戦う理由

引退から2年以上経っていたが、指導で身体を動かしていたこともあり苦労はなかったという。むしろ、選手としての生活に喜びが詰まっていた。

「むしろ今の方が、よりやりたいことをやれています。普通の人からみたら苦労しているように見えるかもしれないですけど、僕は苦労と感じたことは1度もありません。自分でやりたいことをやれるというのは、1つの大きな喜びです。自分で決めて自分で行動して、その利益を自分で得る。試合では原始的な闘争本能が溢れてくるので本能的に興奮しますが、試合そのものより、自分の生きたいように生きられることにすごく幸せだなと感じます。」

一度は引退してブランクがあるとはいえ、長濱は現在31歳。近年のボクシング界は医学の進歩によって選手寿命が延びつつあり、30代の選手は珍しくなくなっている。長濱が重視するのは精神面。ボクシングに限らず、才能よりも、何のために生まれて、何のために生きて、何のために死ぬのかという気持ちの持ち方や哲学的な部分が、もっとも大切だと考えているそうだ。

「限界というものには、あまり意味がありません。僕の中で限界を超えるというのは、要するに自分自身を押さえつけずに表現できるかということです。一歩ずつ登っていくというよりは、自分を元々縛り付けている固定観念を解き放っていくこと。ありのまま、ですね。僕にとって、ボクシングはすべてではありません。ただし、何でもないわけでもなくて、現時点では僕のアイデンティティにおける一つの側面です。今はボクシングが楽しいのでボクシングをしていますが、辞めたらきっと新たなやりたいことが出てくるんじゃないでしょうか。」

現在は長岡ら他の選手とともに、所属先の石田ボクシングジムが借りてくれた寮で生活している。取材時点で次戦の予定は決まっていないが、日々の充実感を感じている限りリングに立ち続けることだろう。

By 椎葉 洋平 (しいば ようへい)

福岡県那珂川市在住のサッカー大好きフリーライター。地元・アビスパ福岡を中心に熱く応援している。趣味で書いていたものが仕事につながり独立。サッカー、スポーツ、インタビュー記事を中心に執筆中。

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