アルティメット選手として、日本代表でも長らく活躍している田村友絵選手。ピッチを離れればタレントとしても活動するほか、現在はパーソナルトレーニングジムも開業して代表兼トレーナーを務めている。最初は、友達と同じサークルでスポーツを楽しむために始めたアルティメットだったが、日々練習や試合に取り組んでいくうちにのめり込んでいった。社会人になって一度は競技から離れたものの、1年後に復帰を果たす。その後は日本代表にも選出され、世界大会にも2度出場。日本を代表するアルティメットプレーヤーへと成長し、気づけばアルティメット界の顔となって現在も活躍している。

田村さんが長く現役を続けるうえで、その原動力となっているものは何なのか。これまでのキャリアや自身がオーナーを務めるジムのこと、そして今後の目標についてお話を伺った。

目次

友だちとの繋がりをキッカケに始めたアルティメット

アルティメットを始めたきっかけは、仲の良かった友達と同じスポーツをやって楽しみたいという気持ちだった。当時、同じ高校から同じ大学に進学した唯一の友達がアルティメットサークルに入るということで、その子について行ったのだとか。それまではプレー経験がないばかりか、競技の存在すら知らなかったという。

当初は週3回の練習を行っていたが、1年生の頃はチームが弱く、試合でもなかなか勝てずにいた。そんな中、最初こそ「楽しくやれればいい」という考えだったが、少しずつ気持ちが変わっていったようだ。

「競技を続けていくうちに、みんなが試合で勝ちたいという気持ちになっていきました。2年生のときに私がキャプテンに就任。でも、サークル活動ということもあり、当時のチームには専門の指導者がいなかったんです。一回り上の先輩にアルティメット日本代表の監督を務めている森友紀さんという方がいて、その方の家に行って『教えてください』と直談判しました。その後、何度かコーチンングをしていただくことができ、みんなで猛練習を積んで、4年生では全国大会ベスト4まで行くことができました。」

全員で一つの目標に向かって頑張っていくこと。それこそが田村さんが今も大事にしていることであり、団体スポーツの魅力の一つである。4年生のとき全国大会で結果を残すことができたが、大学卒業後は競技を続けず生命保険会社へ就職した。社会人になってアルティメットから離れ、1年間は何の運動もしていなかった田村さん。しかしもう一度、競技の世界に戻ってくることになる。

競技への復帰、そして日本代表への選出

田村さんが競技から離れた一方で、アルティメットを始めるきっかけを作ってくれた友達は、社会人になってからもプレーを続けていた。そして、その友達から誘いを受ける。

「所属していたチームの人数が足りなくて、一緒に試合に出てほしいと頼まれました。普段は土日も仕事だったのですが、その日はたまたま代休をもらっていたので、試合に出させてもらったんです」

大学卒業後は、もう競技はやらないと思っていた田村さん。しかし、「試合に行って覚醒してしまいました」と、当時のことを振り返る。久しぶりに試合に出場したことで、再びアルティメットへの熱が再燃した。そして社会人2年目の夏には、勤めていた会社を辞めて転職することを決断。アルティメットをプレーするため、土日休みの会社を選んだ。

「友達が所属していた『セブンカラーズ』というチームに加入しました。すごく強いチームだったわけではないのですが、お子さんがいる選手もいましたし、活動も土日に1回練習をするくらいだったので、ブランクを考えるとちょうどいいなと思っていました。」

しかし、競技に復帰してすぐに吉報が届く。なんと、日本代表選考会に呼ばれたのだ。アルティメット日本代表は、1年間の選考期間を経てメンバーが決まる。1年間という長い選考会を通して、田村さんは見事に日本代表に選出されたのだ。

「実は、大学時代にも日本代表に選んでいただいたことがありました。でも、そのときは大学生活を充実させたいという思いもあり、辞退してしまったんです。2回目の選出だったのですが、そこから多忙になりましたね。代表の監督からは週1回の練習じゃ足りないと言われ、現在の所属チームでもあるMUDに移籍することにしました。」

日本代表に選出され、自身をさらに向上させるために強豪チームであるMUDへの移籍を決断した田村さん。そこから8年、現在もこのチームでプレーを続けている。

あえて選んだ仕事と競技の両立という道

日本においてアルティメットは、まだまだメジャースポーツとは言えない。選手の競技環境も恵まれているわけではないし、ほとんどの選手が社会人として働きながら練習や試合をこなしている。平日にチーム練習はないものの、個人で筋トレやトレーニングをしたり、時間があればピックアップゲームという夜の練習に行ったり。身体的にも厳しいが、それでも仕事を辞めて競技に専念する、より競技に集中できる環境を作るという考えにはならなかったという。時間の融通が効くスポンサー企業で働くという選択肢もあったが、それも選ばなかった。そこには、田村さんの信念がある。

「一個だけ頑張っていると、もしそれができなくなってしまったとき、恐らく廃人になってしまいます。欲張りですけど、アルティメットも仕事も両方やりたいというのが、自分の中にはずっとありました。だから、両方ともしっかりやると決めていましたね。」

プロとして競技に専念できる環境に身を置くことで、練習以外の時間に身体のケアをしたり、補強のトレーニングを行ったりできる。あるいは休息を取るなど、自身の競技力向上のために多くの時間を費やすことが可能だ。それにもかかわらず、あえて環境を変えなかった理由について次のように教えてくれた。

「いざ、自分が競技へ専念できる環境になったら、ケアやトレーニングに時間を使うかと問いかけてみたんです。その結果、恐らく使わないだろうなと。例えば動画配信などを観てダラダラ過ごし、時間を無駄にしてしまう気がしました。それなら、今の生活でも工夫すれば、できることはたくさんあると思ったんです。」

田村さんにとっては、現在の環境が合っていた。もちろん大変な部分はある。しかし、仕事をすることも、アルティメットと同じくらい好きなのだという。

「職場環境に恵まれていたというのもあると思いますが、スポーツと一緒で、自分の頑張りがそのまま反映される会社でした。それに、仕事も頑張ってトップ選手にもなった自分が好きというか、ある意味でナルシストみたいな感じですね。」

キャプテンとして心掛けてきたこと

これまで、チームでも日本代表でもキャプテンを務めた経験を持つ田村さん。「全然そんな器じゃありません」と自分では謙遜するが、実力があり、周囲からの信頼が厚かったからこその任命だった。

「思い返すと、中学校の部活動でもキャプテンでしたし、高校の部活動でも副キャプテンでした。社会人として最初に加入したセブンカラーズでもキャプテンをやらせてもらったので、すべてのチームでそういう立場を任されていましたね。」

普段、プライベート時のキャラクターはキャプテン気質ではない。しかし、キャプテンという役割はときに厳しさを出すことも必要であり、演じなければいけないこともあった。それでも「試合で勝ちたい」「チームとしてタイトルを獲りたい」という思いから、田村さんは日々行動していたそうだ。

「やるからには優勝したいという気持ちがあったので、自然とキャプテンらしい行動になっていたのかなと思います。でも、一方で冷静な自分もいました。感情に任せて発言しているのではなく、目標があるからこそ必要なことは伝えていましたね。あくまでも大事にしてきたのは、チームが結果を残すためという根本の部分。チームとしての目標があり、練習では1日を通した目標を必ず決めて取り組んでいました。もし、その目標に対して違った気持ちで取り組んでいたり異なるプレーをしていたりすれば、厳しく言っていましたね。」

自分が厳しく言うからこそ、フォローしてくれる役割の人も意図的に作っていた。チームが勝つためであれば、嫌な役まわりでもこなすことができる。それに加えて、普段のキャラクターとのギャップがあるからこそ、「あの友絵さんが言っているならやらなきゃ」という効果もあったのではないかと話す。もちろん、言うだけでチームメイトはついてこない。何よりも自分自身がお手本となり、プレーで見せて引っ張るということは、田村さんが常に大事にしてきたことだ。

OTOMONI GYM

田村さんは2023年5月20日、経営者でありトレーナーを務める『OTOMONI GYM』をオープンした。ジムを始めることを決めたきっかけは、自身の怪我の経験だったという。

「怪我したときは、恐らく復帰に向けてリハビリを行うと思います。でも、私はリハビリ期間がすごく嫌で、最短で復帰してやろうと決めていました。そのとき、本当にトレーニングを頑張った結果、通常の倍くらいの速さで復帰できたんです。やはりトレーニングは裏切らないなと感じて、そこでトレーニングが好きになりました。」

25歳くらいの頃、将来は自分のジムを持ちたいと思い始め、そこから少しずつ準備をしてきた。開業のための資金を作ること、トレーナーとしての知識を得ること。知識に関しては、たくさん本を読んだという。さらに、自身もパーソナルトレーニングに通っていたので、そこから学ぶことも多かった。

「ジムの名前の由来は、私が家族から“おともちゃん”と呼ばれていること。それと、どんなトレーナーになりたいか考えたときに、その人の目標にしっかり寄り添い、並走していけるようなトレーナーになりたいと思ったんです。そこで、共に作っていくという意味も込めて『オトモニジム』という名前になりました。」

ジムではパーソナルトレーニング、ダイエット指導、食事指導を提供。現在、一般の方からアスリートまで幅広い方々が通っており、やりたかったことがようやく形にできた。

「とても楽しいです。皆さん何かしらの目標があって頑張っている方々なので、毎回私の方がパワーをもらっています。トレーニングしながら会話をすることも多いので、いろいろな話を聞けますし、面白い方が多いんですよ。」

せっかくジムを始めたということもあり、田村さん自身も2023年11月に開催されるボディコンテストに挑戦するため、日々身体を鍛えている。そこで優勝して、プロ講師になることが直近の目標だ。

アルティメットの魅力

現在の田村さんは、選手とジムのトレーナー以外にタレントとしても活動している。“美女アスリート”として数々の媒体に出演しており、写真集も出版した。しかし、メディアに出演する際に衣装の指定があっても、自分からお願いしてアルティメットのユニフォームで参加していることがほとんどだという。

「すべては、アルティメットを広めるためにやっています。日本代表に選ばれる前は、実力的にも説得力がないと思っていたので、そういった依頼は断っていました。でも、日本代表に選ばれてからは、いろいろな活動をするようになりましたね。」

あくまでも、アルティメットを広めるために活動しているのだ。

年齢的な面のほか、新しい事業を始めたことからも、現在は引退を考える時期に差し掛かっている。「いろいろ考えています」と言いながらも、長く選手を続けているのには明確な理由がある。それが、ワールドゲームズで日本代表が優勝することと、日本にアルティメットのプロリーグを作るという目標だ。

そのために、まだまだ自分がやれることはたくさんある。そして、選手を続けるモチベーションの根本にあるのは、アルティメットが楽しいという気持ちだ。最後に、そんな田村さんにとってのアルティメットの魅力について伺った。

「『ザ・ナンバーワンチームスポーツ』というのが最大の魅力です。アルティメットには、ベンチという概念がありません。フィールドに立つ選手は7人ですが、出ていない選手もフィールドの外のディスクの線上を一緒に走っているんですよ。走りながらフィールド内の選手に声をかけていて、その人たちの声がなかったら守れないこともある。だから、そういう意味でも本当にチーム全員で戦うスポーツです。」

チーム競技の団結力や一体感が好き。そして、それを最大限に生かせる競技がアルティメットなのだ。この競技に魅了され、アルティメットの魅力を多くの人たちに届けたという思いを持つ田村さん。アルティメット選手、ジム経営者、そしてタレントといういくつもの顔を持つ田村さんは、これからも走り続けていく。

田村 友絵(たむら ともえ)

大学1年時のサークル活動でアルティメットと出合う。その後、大学卒業後は一度競技から離れるも、一年後に復帰を果たす。そこから日本代表に選出され、世界大会にも2度出場した。美女アスリートとしてメディアにも出演し、幅広く活動している。2023年5月に自身がトレーナーと代表を務める「OTOMONI GYM」をオープンした。

By 渡邉 知晃 (わたなべ ともあき)

1986年4月29日生まれ。福島県郡山市出身。元プロフットサル選手、元フットサル日本代表。Fリーグ2017-2018得点王(33試合45得点)。プロフットサル選手として12年間プレーし、日本とアジアのすべてのタイトルを獲得。中国やインドネシアなど海外でのプレー経験もある。現役引退後は子供へのフットサル指導やサッカー指導、ABEMA Fリーグ生中継の解説を務め、サッカーやフットサルを中心にライターとしても活動している。

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