「空手」と聞くと、どんなイメージを思い描くだろうか。直接打撃制のフルコンタクト空手や、寸止めで行われる伝統空手、あるいはオリンピック種目でもある「型」を思い浮かべる人は多いかもしれない。しかし、実はこれら空手は、もともと「沖縄空手」が起源だと言われる。今回、沖縄空手がどのようなものなのか、一般社団法人沖縄県伝統空手道振興会で事務局長を務める上原邦男(うえはら くにお)氏にお話を伺った。

目次

沖縄空手とは?その始まりと歴史

恐らく、沖縄空手という言葉を初めて聞く人もいるだろう。あるいは言葉こそ知っていても、どういうものか説明できる人は少ないはずだ。上原氏も、ご自身が沖縄空手を実践する中で、その歴史について少しずつ分かってきたのだという。

「沖縄空手は、取り組んでいるうちに疑問が解消され、その歴史が分かってきます。良く言われるのが、中国空手と沖縄空手が融合したとか、中国空手の影響を受けて出来上がったものだとかいう話。一部をとらえると間違いではありませんが、個人的に“融合”という表現はあまり使いません。」

では、どの程度の影響を中国から受けているのか。上原氏の考えでは、ほとんどが沖縄のもので出来上がっているのだという。融合ではなく、「包摂(抱き込む)」という表現が近いと教えてくれた。

「沖縄は、本土に比べて文字文化が遅いんです。ただし、それは文化的に劣っているわけではありません。記述されたものはありませんが、言葉で伝わっています。例えば何かのバイブルも、誰かが言ったことを他者が後世に書いただけのもの。空手も同じで、文字ではなくそれが言葉で伝えられているだけなんです。」

沖縄は湿気が高くて台風が多く、かつ離島である。そのため、本土に比べると、環境という面では貧しい。しかし、当然ながら沖縄には人が住んでいて、その中では男女の出会いがある。上原氏は、ここに沖縄空手の起源があると、ご自身の考えを教えてくれた。

「今でいう合コンですが、かつて沖縄には「毛遊び(もうあしび)」というものがありました。芝生の生えた広場(海岸)で男女遊ぶんです。そこで自分をアピールするのですが、その手段が踊り。舞踊の上手い人、あるいは自身の作った踊りがかっこいいと、相手に好印象を与えられます。歌を奏でたり踊ったり。その中でカップルができるのですが、沖縄の舞踊には空手に似た動きが多いんですよ。それらが、応用されていき、沖縄空手が始まったと考えています。」

それから中国との交易が盛んになると、多少なり影響を受けた部分が組み合わさった。これにより、沖縄伝統空手ができたのではというのが上原氏の考えだ。

やがて、沖縄空手は全国へと広まっていく。これに貢献したのが、空手家・船越議陳が大正に招聘(ふなこしぎちん)氏だ。船越氏が県外に行き、主に大学で紹介したのだという。

「本土にも武術はあるので、受け入れやすかったのではないでしょうか。船越氏は、大学の講師として沖縄空手を教えました。そして、大正~昭和初期で広まっていったんです。また、首里の王府が侵攻貿易で栄えていった中、側近や武士が沖縄空手を取り入れました。」

こうして沖縄空手は生まれ、そして外にも広まっていったのだ。

沖縄空手の極意は琉歌にある

明治の廃藩置県で、沖縄の王は筆頭自治で本土に連れて行かれた。これが、琉球王国が正式に消滅したキッカケなのだという。そんな琉球王国には、「命こそ宝(むちどぅたから)」という言葉がある。沖縄空手も、これに紐づいているのだと上原氏は教えてくれた。

  • 戦争は終わった(植民地という形でやっていたこと)|いくさゆんしまち
  • 理想郷=平和な世の中も、もう少し|みるくゆんやがてぃ
  • 嘆き悲しむなよ
  • 命どぅ宝

王様が亡くなると殉死があるが、命こそ大事だから生きながらえなさいと伝えた言葉だ。

「空手に先手無し(自分から手を出すな)と言われます。また、琉歌には『耐え忍びなさい』という言葉がありますが、まさに空手は耐え忍ぶこと。究極の忍びは手を出すのではなく、反撃することにあります。この琉歌の中に、沖縄空手の極意があると私は思っているんです。喜び悲しみを琉歌という形で残しました。書かれたものは大切ではなく、言葉が大切なのです。」

攻撃するのではなく、命を守るためにある沖縄空手。恐らく、空手に対するイメージと違う印象を持たれた方は多いだろう。

沖縄空手の魅力、他との違い

伝統空手は五輪では採用されない。採用されるのは競技空手だ。上原氏によれば、これによって凄い技はなくなったのだという。

「沖縄伝統空手は、急所を狙います。これが、スポーツ化するためになくなりました。スポーツ空手は、審判にアピールすることが大切ですから。沖縄伝統空手は自己との対話、神との対話、何か偉大なものとの対話で自己を高めます。そして、究極は“長生きする”ためなのです。これは、他と異なる大きな特徴でしょう。」

競技空手といえば、国内では松濤館が有名だろう。しかし、考えが深まりに従って、やはり空手のルーツがどこなのかという疑問が浮かぶ。その結果、沖縄伝統空手を学びに来る人は多いのだという。

「世界中の“空手”は沖縄空手に集まります。だいたい練習が故、股関節をやられている人が多いですね。健康を害しているのなら、それはやり方を間違えているということ。そして、それがスポーツ空手ということになります。若いうちは良いですが、年を取れば衰えていき、回復できない状態になる。一緒に練習しても、同じ動きができません。特に外国へ伝わっている空手は、身体を痛めつける練習が多いですね。でも、沖縄伝統空手は身体にとても良いんですよ。」

競技であれば、ルールを変更しないと長続きしなくなる。ルールを変えることで、講習会などの機会が増える身体。しかし、沖縄空手は商業主義ではない。それゆえに地味ではあるが、ここにも大きな違いがある。

「競技空手は、どうしてもオーバーアクションになりがちです。なぜなら、審判へのアピールのため。本来なら自分だけ守れば良いのに、それ以外の範囲にも動くんです。また、極真空手(フルコンタクト空手)とも大きな違いがあります。沖縄伝統空手は先手無しですが“受け”があり、これ自体が攻撃になるんです。例えば肘を受けると、その肘を持っていかれて折れる。沖縄伝統空手では、とにかく自分に触れさせません。一方で、極真空手は身体を鍛えますし、基本的に受けという思想がありません。」

沖縄伝統空手は、時代を通じて変わらない。そして、1つも漏らさず伝えていくのだ。この“変わらない”ということも、スポーツではあまり聞かないことだろう。

沖縄空手の流派

沖縄伝統空手には、以下3つの流派が存在する。

  • 那覇手(=那覇空手)ナハディー|剛柔流
  • 首里・泊手 スイトマイディー|しょうりん流(少林流・小林流・一心流)
  • 上地流

これら以外は伝統空手ではない。1つ、武器を使う古武道があるが、本来は古武道も沖縄伝統空手からは派生しているのだという。

沖縄では手を「ティー」、そして空手家を「ティーチカヤ」と呼ぶ。いわゆる空手の“型”は、船越議陳氏が漢字を使って伝えたのだとか。ただ、これには弊害もあった。漢字にすると、漢字の通りに型を理解し、理解してしまうのだ。

「本来は、漢字ではなく音なんです。私は子どもの頃に標準語が話せず方言を使うと罰せられました。方言札など、方言統制があったんですね。当時の学校教育は良い軍隊を作ることが目的で、言葉を統一することで統制が取れます。しかし、沖縄の方言にも、空手のエッセンスが含まれているんです。ですから、本当に沖縄伝統空手を身に着けるには、方言をマスターしなければなりません。昔の人は方言(言葉)で教えたわけですから。」

言葉によって伝えられた沖縄伝統空手。昔から変わることのないものだからこそ、方言でなければ正しく理解できない面があるようだ。また、沖縄伝統空手には、1つ重要なことがあるという。

「例えば先祖や神様に願うように、習慣として“やる”ことで満足感があります。量質転化と言い、量の積み重ねによって質が高まるわけです。例えばお湯をいったん温めるには、エネルギーが必要ですよね。しかし、常に保っておけばすぐに沸騰します。ある程度、少しでもいつも取り組んでおくと、すぐに高めることができるわけです。」

少しでも、日々の習慣として取り組むこと。これによって、いわゆる“準備ができている”状態になるのだろう。実際に上原氏も、かけられる時間は異なるものの、いつも必ず沖縄伝統空手に触れ、実践しているそうだ。

仕事を変えて歩んだ沖縄空手の道

沖縄空手は、400ある町道場が主体となっている。本土では、学連のような形で普及・発展。しかし、空手だけで生計を立てている人は少ない。例えば農業しながら夜・昼はタクシードライバーで、夜は空手の先生など兼業がほとんどだ。上原氏自身も、会社勤めしながら道場経営していた。

「民間会社だと、どうしても付き合いなどで時間確保が難しいですよね。この課題を解消するには、それができる仕事に就くこと。そこで私は、米軍に軍作業員として就職しました。時間通りに仕事が終わるから、それで道場を両立できたわけです。他に公務員などもやりやすいと思います。」

上原氏は、高校入学前から沖縄伝統空手に触れた。自身で道場も持っていたが、現在は沖縄空手の振興に努めている。

沖縄空手に触れるには?

取材当日も、海外から沖縄空手を学びたいという方が訪れていた。沖縄空手会館では、沖縄空手の歴史を学んだり、鍛錬を体験したりできる資料館がある。企画展なども開催されているので、沖縄空手に興味を持った方はホームページで情報を調べ、足を運んでみてはいかがだろうか。

また、空手着での瓦割体験もできるので、年齢性別を問わず楽しみながら沖縄空手に触れられる。きっと観光の一部としてでも、良い思い出になるのではないか。沖縄伝統空手は、これからも変わることなく伝承されていくのだろう。

沖縄空手会館ホームページ

By 三河 賢文 (みかわ まさふみ)

“走る”フリーライターとして、スポーツ分野を中心とした取材・執筆・編集を実施。自身もマラソンやトライアスロン競技に取り組むほか、学生時代の競技経験を活かした技術指導も担う。ランニングクラブ&レッスンサービス『WILD MOVE』を主宰し、子ども向けの運動教室やランナー向けのパーソナルトレーニングなども。4児の子持ち。ナレッジ・リンクス(株)代表。

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