会社を設立して代表取締役に就任した陸上界の日本記録保持者や、引退後に医学部へ進学するラグビー元日本代表。近年、トップアスリートがキャリアに対して、積極的に行動する事例が話題になっている。しかし、引退後のキャリアをイメージした際、現役中に何をしたら良いのかわからないアスリートも多く存在していることも現状。そう教えてくれたのは、女子サッカーで年代別の代表経験を持つ山田頌子さんだ。

山田さんは日本のトップリーグで8年間、なでしこリーガーとして活動し、皇后杯準優勝も経験している。しかし、自身のキャリアと向き合った末に、現役続行が可能な中で引退を決断。3年後に、アスリートのキャリア支援を行う会社「株式会社Champ」を立ち上げた。現在はその会社で、既存の人材紹介の形にとらわれずサポートを行う。それは、自分自身がアスリートだったからこそ。20年間をスポーツ界で過ごした経験に、新たなキャリアの知識を加えて現役選手の相談に応じる山田さんに、アスリートのキャリアにおいて現役時代から持つべき意識を伺った。

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競技とキャリアの両立の厳しさ

元々、競技だけではなく勉強もした方が良いと言われて育った山田さん。中学生のときは、たとえ週末に試合があっても、テスト1週間前は練習に行かせてもらえなかったという。

「そのおかげで、サッカーだけで生きていくことはないのだという感覚は、幼い頃からありました。何をするかは決めていなかったけれど、現役時代からサッカーを引退した後の自分も楽しみでしたね。大学生のときには漠然と、25、6歳くらいのときには引退し、次のキャリアにステップアップしているかなと考えていました。」

高校を卒業し、当時のなでしこリーグ1部に所属していたジェフユナイテッド市原・千葉レディース(現在はWEリーグ所属)に入団。その後、いくつかの強豪チームへ移籍を経験している。現役最後の1年となったシーズンも、主力選手として活躍していた。それでも引退を考えたきっかけは、アスリート社員のままでは、チームの紹介で働いていた会社の昇格試験を受けさせてもらえなかったことだった。

「会社の昇格試験に挑戦することで、引退した瞬間でもある程度仕事のスキルが身につくのではないかと考え、受けてみようと思いました。しかし、規定では問題ないものの、アスリート社員は勤務時間が普通の社員より短いことを理由に、アスリートは受けられない…と上司から申請を取り下げられてしまったのです。そのとき、競技を続けることでキャリアの積み上げがない自分ではいたくないと考え、次のシーズン終わりで引退することを決断しました。」

学生の頃にイメージした通り、引退したのは26歳のときだった。競技をやめた後の生活にポジティブな印象を持っていた山田さんだったが、引退直後は自分自身が何をしたいのかわからず、悩んだ時期もあったという。

「ありがたいことに、現役のとき勤めていた会社で仕事はもらえていました。でも、サッカーと同じくらい熱量を持って仕事をしたいと思っていたので、会社に言われた通り働くだけの時間に、もやもやした気持ちが。それに対して、誰かがサポートしてくれるわけではないので、自分のように困るアスリートは多いのだろうなと感じたんです。それから、今後同じように悩む人へ、キャリアに関するサポートがしたいと考えるようになりました。」

知り合いに相談したところ、日本で唯一キャリアについて研究している法政大学大学院のキャリアデザイン学研究科を紹介されて、進学を決意。大学院で学びながら、いくつかの仕事を掛け持つ生活を約2年間続けた。大学院を卒業したのち、2020年10月に会社を設立し、その1年後に独立した。

競技以外に没頭するものの重要性

一度スポーツ界を離れ、キャリアを学問として学んだ山田さん。現在は、大手人材紹介会社で勤務経験のある高校時代の後輩とともに会社を経営し、アスリートのキャリア支援を行っている。普段からさまざまな競技のアスリートたちが相談に訪れる中で、キャリアのことは引退後に考えたら良いと、楽観的な人も多いのだとか。そのような人たちに対しては、引退しようか悩んだタイミングで考えるのでは遅いと、厳しいことも伝えているという。

「率直な意見を言うと、アスリートでは競技しながら働いている人でさえ、30歳近くなるとなかなか採用が決まらないという現実があります。それは結局、積んできたスキルが少なく、職務経歴書に書くことがないからです。実際に採用している企業の方にも、『この年でこのスキルでは厳しい』と普通に言われてしまう。やりたいことが決まっていないのなら、なおさら引退後のキャリアを狭めないためにも、早めに競技がなくなったときの人生を考えてみて欲しいです。」

引退後を見据えたうえで、現役時代から意識して取り組んでほしいこと。それは、スポーツ以外に没頭できるものを見つけることだという。

「スポーツ界におけるキャリアの課題は、山ほどあります。その中でもっとも大きいのは、自分の人生でやりたいことが、スポーツ以外にないような状態になることだと考えています。トップアスリートで闘っている選手たちには、幼いときから同じスポーツを続けている人が多い。そのため、いざ引退し、そのスポーツが自分の中から抜けたときに、バーンアウト(燃え尽きて意欲をなくすこと)のようになることが少なくありません。そうならないために、引退のときを見据えて、趣味でも構わないので、競技以外に自分が楽しいと感じて没頭できるものを持っていてほしいです。」

自身が引退後に痛感した、競技がなくなったときの焦りと喪失感。同じ道を通らないでほしいというのが、山田さんの願いだ。

現状にとらわれない、キャリアサポートのあり方

キャリア支援というと、人材紹介を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。一般的な人材紹介の流れは、求職者のキャリア相談にのり、その人に合った会社と次々にマッチングさせるというもの。しかし、山田さんの会社ではその前段階である、まだ先を見据えられない人のサポートから行っているという。

「具体的には、自己分析のセットを受けてもらい、その結果をもとにお話します。話していく中で、相手が興味のあることを見つけていく。また、自分を知るという機会を作ることで、本人も『自分はこういう性格なのか』『こういうところがあるのか』という気づきが生まれます。それによって、自分の潜在意識の中から、本当に興味のあるものを見つけ出すこともありますね。」

今後はアスリートのキャリアサポートに加えて、女性のキャリアサポートも進めていきたいとのこと。結婚して子どもがおり、家もあるけれど、ただ悶々とパートをしているだけ。人生このままでいいのかと悩む人たちが、山田さんの周りにも一定数いる。このことを知り、そうした人たちの力にもなりたいと考えているのだ。

「キャリアを選択するときには、会社員であることがすべてではないと考えているし、企業を紹介することを一番の目的に置いているわけでもありません。うちの会社が大切にしているのは、悩みの解決を行うこと。そのため、これからはサポート内容や対象者も、より幅を広げて活動していきたいと考えています。」

例えば、悩みを聞いたうえで、興味のありそうなことが出てきたら企業を紹介する。自分で独立したい人には、そのサポートを。さらには、エンジニアになりたいけど技術的に難しい人がいるなら、エンジニアを育成しているところから企業へつなげられるようなパイプを作っていく必要がある。最終的にトータルで手掛けていくことができたら、自分自身も楽しさにもつながるのだそうだ。

山田さん自身、既存のやり方や一つの正解にただ当てはめるのではなく、自分で勉強して会社を立ち上げた。それは、アスリートのために働くという“やりたいこと”に対して正直に、その道が困難であっても手探りで進む決断をしたからだ。そんな山田さんだからこそ、これから出会うアスリートたちの素直な心を引き出し、導くことができるのだろう。

山田 頌子(やまだ しょうこ)

年代別日本代表の経験を持つ、元なでしこリーガー。高校は全国大会常連校である常盤木学園に進学。卒業後はジェフユナイテッド市原・千葉レディースに入団し、いくつか移籍を経験しながら8年間なでしこ1部リーグのチームで活躍。26歳で現役を引退すると、法政大学大学院キャリアデザイン学研究科でアスリートのキャリアについて研究。現在は「株式会社Champ」を立ち上げ、アスリートのキャリア支援を行っている。

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By 伊藤 千梅 (いとう ちうめ)

元女子サッカー選手・なでしこリーガー。現役中はnoteでの活動を中心に発信。引退後はFCふじざくら山梨のマッチレポートの執筆を行う。現在はフリーライターとして活動中。

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