2022年1月30日(日)に開催された「大阪ハーフマラソン」で引退した、元陸上競技・長距離選手である福士加代子さん。これまで競技への考えや強く走り続けるための方法など、インタビューをもとにご紹介してきた。4大会連続での五輪出場など素晴らしい実績を持つ福士さんからは、非常に学ぶことが多い。最終回となる今回、福士さんにとってもっとも大切と言える人々との出会いや繋がり、そして引退に対する考えなどをお伝えしよう。

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苦難を乗り越え、そして引退を決断

競技引退後に出版された書籍『福士加代子』(いろは出版)では、福士さんが現役時代、たびたび引退を考えていたことが語られている。しかし「この試合で引退」と決めて臨みながらも、結局は今年の大阪ハーフマラソンまで競技を続けてきた。なぜ長きにわたり、福士さんは競技者であり続けたのか。これについて、次のように話してくれた。

「カッコいい状態で辞めようと思ったんですよ。でも逆に、カッコいい状態だからこそ辞められなかった。欲が出るんですよね。本当にダメにならないと、辞めることができなかったのだと思います。若い頃は何度もダメになって、でも、もう一回やると奮起できました。でも今回はやり切った感じがあって、ちゃんと引退を決断できたんです。オリンピック出場を含めて、本当に色んな経験をしたので、もうそろそろ良いかな…って。本当は、引退と言わずフェードアウトしようと思ったんです。でも、周囲にとっても言った方が良かったようです。余韻を持たせてくれたし、私みたいに『引退レース』と言って辞めるのもありですよね。」

決して常に最高のパフォーマンスを発揮できたわけではなく、何度も苦しい状況に立たされてきた福士さん。まだできること、やり残したことがあったから、そのたび打開して競技に取り組み続けてきた。しかし、いつしかルーティンとなっていた「オリンピックを目指す」ことができなくなったとき、自然と“引退”という言葉が出たのだという。

「本当に苦しいときは、なかなか這い出すことができません。そんなときは、一旦辞めて競技から離れてみると良いですよ。私も一度競技から離れたことがありましたが、OLを3か月やったら疲れちゃいました。それで、走っている方がいいかなって。調子が悪いなら休めばいいし、それで体力がなくなれば、また作り直せばいいじゃないですか。そのときに、自分がやれることを積み上げていく。辞めるかどうかは自分次第だし、ダメなときは怪我したと思って休めばいいと思います。私もずっと、根底に『ダメだったら辞めればいい』と思ってやってきました。肉体的にも精神的にも、しんどいときはあります。もちろん不安はあるし、積み上げてきたものを自ら壊すのは簡単ではありません。でも私の場合、どっちに行ったら自分がどうなるのかを見たかったんですよね。義務感でやるのは苦しいだけ。体力はなくなるかもしれないけど、どこまで体力なくなるのかも実験かなと思っていました。」

福士さんは、何でも生き切ってしまうタイプなのだとか。好きなものがあれば、嫌いになるまで食べ過ぎてしまう。同じように陸上競技にも取り組んできたが、結果的に、嫌いになることはなかったようだ。世界を舞台に競技するアスリートには、周囲からも大きなプレッシャーが掛かるもの。つい無理をしがちだが、『辞めてもいい』という考えを持ち、ときに競技を離れてみることは、長く競技するために必要なことなのかもしれない。そうすればこそ、結果的に競技を好きでい続けられるのだろう。

自分を“丸出し”にすれば良い出会いが巡ってくる

書籍を読んでいると、福士さんは人との出会いに恵まれてきたのだと感じる。陸上競技を始めたキッカケはもちろん、競技を続ける中では常に周囲からの支えがあった。もちろん、これは実際のところ誰でも同じなのかもしれない。たった一人で強くなるアスリートなんて基本的にいないし、指導者や仲間、あるいは家族との絆があればこそだろう。それでも福士さんには周囲を巻き込み、出会いを引き寄せるような何かがあるような気がしてならない。

「なんだか、みんな良いタイミングで出てきてくれるんですよね。弱くなったタイミングで現れるというか。私自身、いつも『しんどい』って口に出して言っているからかな。よく弱い自分を見せたくないみたいな人がいるけど、そういうのはなかったですね。特にアテネ以降はなくなって、例えば怪我でゼロになれば、弱い自分になるから頼るしかない。そして、その方が視野も広がるんですよ。」

弱い自分をさらけ出すというのは、簡単なことではない。特に周囲から期待されるアスリートであれば、尚更ではないだろうか。これまで求めるというより、人間関係は自然とできてきたという福士さん。それは、福士さん自身が弱さも何もかも隠さず、ありのままでい続けたからと言えそうだ。

「最初は自分というものがなくて、ただレールに乗っている感じでした。自分の意志はどこにもなくて、最初は『乗らされた』っていう意識でしたね。そんな自分が、実は嫌いだったんです。でも結局のところ、それに乗ったのは自分の意志じゃないですか。陸上を始めるのも、マラソンという競技に挑戦するのも。つまり、そこには常に自分の意思があるんですよ。そうと思い始めたのは最近だけど、そしたらちょっと自分が好きになりました。」

最近は面白い人がいると、自ら会いに行くという福士さん。どんな人と会いたいと思うのかについても、福士さんらしい回答が返ってきた。

「自分のことを丸出しにしている人がいいですよね。例えば少年少女のようにワーキャー言う65歳の方がいるんですけど、そういう生き方って楽しいじゃないですか。とにかく、隠さずさらけ出す方が楽しいし、自分に無理もない。これは親や親友、あるいは会社の人も同じです。身近な人にも分け隔てなくさらけ出すからこそ、自分と相性の良い人が寄ってくると思います。『嫌われないように』なんて言葉を選ぶと、まったく良いことがない。相手にどう思われようと、自分の思いをハッキリ言う方が良いと思うんです。」

良い意味で、周りに気を遣わないこと。等身大の自分をさらけ出すからこそ、その自分を受け入れてくれる、もしくは引き合う人との出会いが訪れるのだろう。出版された書籍でも、これまでの経験や思いが、まさに“丸出し”で綴られていた。これこそ、福士さんが多くの人から愛される理由と言えそうだ。

自分の整理のために出版した「福士加代子」

最後に、引退して書籍を出版した理由を聞いてみた。普通なら誰かに何かを知ってほしい、伝えたいという思いで出版するケースが多いだろう。しかし福士さんの場合、そうではなく自分自身のために出版したのだという。 

「自分の棚卸ですね。ただ過去を振り返っていくだけかと思ったら、本当の自分の芯は変わっていないことが分かりました。走るの好きだったんですよね。出版を通じて、自分に関する新しい気づきが得られました。あと結婚して苗字が変わっているので、世の中に『福士加代子』という名前が残るのも良いですよね。」

本を通じて伝えたいことを聞くと、きっぱり「伝えたいことはない!」と即答してくれた福士さん。しかし実際に読んでみれば、時系列で福士さんの経験や思いを当事者として感じ取ることができる。十分に、読者に対して“何か”を伝えてくれるだろう。そんな書籍『福士加代子』の直筆サイン本を、本記事をご覧くださった方々を対象に3冊プレゼントとしてご提供いただいた。3回に分けてお届けしたインタビューだが、今回が最後となる。福士さんの競技人生、あるいは生き方に興味を持たれた方は、是非とも読んで見ていただきたい。

福士 加代子(ふくし かよこ)

1982年3月25日生まれ、青森県出身。ワコール女子陸上競技部(スパークエンジェルス)アドバイザー。高校時代から陸上競技を始め、卒業後はワコールへ入社。2002年に3,000m・5,000m、2006年にハーフマラソンでそれぞれ当時日本記録を樹立10,000mでは日本選手権6連覇を果たし“トラックの女王”と呼ばれた。さらに2016年のリオ五輪で出場した女子マラソンを含め、4大会連続の五輪出場。2022年1月30日に行われた「大阪ハーフマラソン」で引退した。

By 三河 賢文 (みかわ まさふみ)

“走る”フリーライターとして、スポーツ分野を中心とした取材・執筆・編集を実施。自身もマラソンやトライアスロン競技に取り組むほか、学生時代の競技経験を活かした技術指導も担う。ランニングクラブ&レッスンサービス『WILD MOVE』を主宰し、子ども向けの運動教室やランナー向けのパーソナルトレーニングなども。4児の子持ち。ナレッジ・リンクス(株)代表。