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TOKYO2020出場の夢を逃し、世界選手権で引退。新たな道へ歩み出した下山田培の競技人生

2021年10月、異国の地で一人のアマチュアレスラーが引退した。それが、男子グレコローマンスタイル67㎏級の下山田培だ。TOKYO2020での金メダルを目標に日本体育大学レスリング部で揉まれ、アジアや全日本のチャンピオンにもなった強者である。最終的にオリンピックという大舞台には立てなかったが、勝っても負けてもダイナミックな試合運びを見せるなど、記憶に残るレスラーだった。

歩んできたレスリング人生に悔いはないが、「僕は弾かれ者でした」と振り返る下山田。第二の人生の指針は定まった。弾かれ者のレスリング人生は終わらない。そんな下山田に、これまでの競技人生を伺った。 

世界選手権での“引退”という決意

人の好き嫌いはハッキリしている。だからといって、それを口には出したりしない。友人からは「もっと上手く立ち回った方がいい」と指摘されたこともあったが、練習場以外での自己主張は苦手だったという。出場の叶わなかったTOKYO2020の閉会式から約2カ月後、下山田はノルウェーで行なわれたレスリングの世界選手権に出場。そこで敗者復活戦に敗れた直後、履いていたレスリングシューズをその場で脱いだ。レスリングの世界では、よく知られた引退を伝えるパフォーマンスである。下山田にとっては初めてともいえる自己主張に、場内からは大きな拍手が沸き起こった。

「僕のことなんて誰も知らない国の人たちが温かく迎えてくれたことが、すごく嬉しかった」と感動に浸っていた下山田。当初はTOKYO2020出場が不可能になった時点で、潔くマットから去るつもりだったという。しかし、大学時代の恩師である日本体育大学の松本慎吾監督から「世界選手権までやってみたらどうだ?」と薦められたことで、「これを最後にしよう」と心に決めた。 

「世界選手権で優勝して、UWW(世界レスリング連合)の世界ランキングで1位となり表彰されたかった」

せめて世界のレスリング界には自分の名を覚えてもらいたかったと、その胸中を話す。 

TOKYO2020のエクストラ・ラウンドとして挑んだ世界選手権

オリンピックのように大勢に認められる偉業ではないが、世界一になれば業界内では一目置いてもらえる。下山田にとってコロナ禍の最中に開催された世界選手権への出場は、幻となったTOKYO2020のエクストラ・ラウンド(延長戦)だった。

「せっかく出場するならば、とびっきり強い相手と闘ってみたい。」

そう願っていたら、初戦でTOKYO2020の金メダリストと闘うことになった。これ以上のマッチメークはないだろう。いざ試合開始のホイッスルが鳴ると、大方の予想に反して下山田が61と大量リードする展開に。大金星は目前と思ったが、その矢先に彼は足首を捻って満足に踏ん張れなくなってしまう。最終的に大逆転のフォール負けを喫した下山田は、試合後にこう呟いた。

「勝てる試合を逸してしまった。やっぱり(自分は)こんなもんだったのか」

オリンピックの金メダリストをあわやというところまで追い込むのだから、実力がないわけではない。しかし、勝ち切るためには何かが足りなかった。

「(勝負運を)持っている持っていないの話になるかもしれないけど、最後まで勝ち切れないという意味で、『やっぱり下山田は下山田らしい』という声も聞こえてきましたね」

と、下山田は天を仰いだ。勝つときも負けるときも、ドラマチックかつダイナミック。極端に振り幅が大きいレスリングこそ、下山田の真骨頂だった。

巡ってこなかったチャンス

振り返ってみれば、下山田の競技者としてのクライマックスはTOKYO2020 YEARとなった2021年に集中している。世界選手権は10月。そして、ぶっちぎりの強さを見せつけて優勝した、カザフスタンでのアジア選手権は同年4月の開催だった。

アジア選手権でのハイライトは、以前同じ大会の決勝で敗れたカザフスタン代表に雪辱したことだろう。途中までスコアは07で、あと1点奪われたらテクニカルフォール負けという絶体絶命のピンチに追い込まれた。しかし、その直後から反撃を開始。37と追い上げ、十八番の俵返しを決めてスコアをイーブンとし、フォール勝ちした。下山田は、会心の勝利について次のように振り返る。

「あのときは点数差を考えていなかった。07になっても、『まだいけるんじゃないか』と勝手に思い込んでいた。」

発奮する材料もあった。開催前、同じ会場でTOKYO2020への出場権を争う『アジア大陸予選』が行なわれ、日本から派遣されたライバルの高橋昭五(当時・警視庁)が初戦で敗れてしまったのだ。約2カ月後には、最後の2枠を決める『世界最終予選』が行なわれるというタイミング。下山田が「ここで自分をアピールしておけば」という気持ちになったのは当然だった。

よほどのことがない限り、TOKYO2020にはアジア大陸予選と同じ選手が派遣されることになっていた。しかし、変更になる可能性もゼロではない。下山田は自分に声がかかることを願い、現地でこう発言している。

「今後何があるか分かりませんが、高橋昭五が世界最終予選に出場できなくなり、急きょ自分が行くことになってもいいように準備しておきます」

その一方、諦めに似た思いも抱いていた。なぜなら、「何があっても高橋を送り込む」という空気を感じていたからだ。そして案の定、チャンスが巡ってくることはなく、TOKYO2020出場という下山田の夢は断ち切られた。20222月、久しぶりに会った下山田は当時の自分を「僕は弾かれ者でしたね」と表現した。

結局、高橋は世界最終予選でも敗れたため、グレコ67㎏級に日本代表が名を連ねることはなかった。グレコでの出場は60㎏級の文田健一郎(ミキハウス)と77㎏級の屋比久翔平(ALSOK)のみ。社会人としての所属先は違うが、下山田と同じ日本体育大の出身で現在も大学を練習の拠点としており、他人事ではない。 

身近にいる人がオリンピックに出ていることが、すごく嬉しかったという下山田。文田は銀メダルを、屋比久は銅メダルを獲得し、不思議とジェラシーは抱かなかった。

「自分も出ていたらという考えもあったけど、それを言っていたらキリがない。割り切っていましたね」 

その後に開催されたパラリンピックで、当時警視庁に所属していた下山田は五輪施設の警備の任務に就く予定だった。しかし無観客での開催となったため、警備は大幅に縮小され声はかからなかった。「僕は控えの控え。ベンチウォーマーにもなれなかった」と話す下山田氏。試合でも仕事でも、オリパラには縁がなかったということだろうか。 

親子二代に渡り接してきたオリンピック

TOKYO2020のレスリング、日本は男子フリースタイルで1つ、女子フリースタイルで4つと計5つの金メダルを獲得した。4年に一度のスポーツ祭典で優勝すれば、世間は黙っていない。金メダリストたちはテレビに引っ張りだこだった。下山田は、女子50㎏級で優勝した須﨑優衣(当時・早稲田大)のファンを公言する。バラエティ番組に出演する彼女は眩しく映った。

「どこで会っても腰は低いし、本当にすごい選手だと思う。僕も、ああいうオリンピアンになりたかった。そしてテレビや雑誌に出たかったですね」

とはいえ、自分が歩いてきた道に後悔はない。幼少の頃から母・志穂さんに、「オリンピックに挑戦することは大切」と骨の髄まで叩き込まれたせいだろうか。志穂さんは女子柔道黎明期に鹿屋体育大に在籍し、女子柔道のナショナルチームの初期メンバーと間近で接してきた生粋の柔道人だ。

「お母さんは学生時代、オリンピックに挑戦しても出られない人をたくさん見てきた」

そう話す下山田は社会人になる直前、ぶらりとオーストラリアまで一人旅に出かけた。行き先は北東部に位置する都市ケアンズ。なぜか、自然も人も自分のフィーリングに合ったという。そのとき「将来は自分が住むところになるかも」と感じたというが、その直感は当たっていた。今春、下山田はケアンズに再び足を向ける。所属していた警視庁は202112月に退職。帰国するつもりはなく、移住する決意を固めたのだ。ロシアや東ヨーロッパ以外では人気が今ひとつのグレコローマンを、オーストラリアで指導したいという希望を抱いている。

「今回はワーキングホリデーなので、来年につなげられるようにしたい。将来は現地で観光業に就きたい。2032年には(オーストラリアの)ブリズベンで夏季オリンピックがありますが、現在この国でグレコはほとんどやっていません。この間の世界選手権にも一人しか出ていませんでした。これから強化を計るなら、自分が携われたらいいなと思っています」

これから、下山田はどんな道を歩んでいくのか。弾かれ者のレスリング人生は、まだまだ終わらないようだ。

下山田 培(しもやまだ つちか)

1994年7月8日生まれ。茨城県出身。茨城・霞ヶ浦高からレスリングを始める。日本体育大学に進学すると、上半身の攻防に特化しダイナミックな投げ技も出るグレコローマンスタイルに専念。国内では2015年の全日本学生選手権を皮切りに、2017年&2020年全日本選手権、2018年&2021年全日本選抜選手権で優勝。海外では世界選手権とアジアのオリンピックといわれるアジア競技大会に2度ずつ参加。計3度出場したアジア1を決めるアジア選手権では2021年に優勝している。202110月の世界選手権を最後に引退。実弟・下山田周(あまね)もグレコローマンの選手として活動した。

[著者プロフィール]

布施 鋼治(ふせ こうじ)

1963年7月25日生まれ。北海道札幌市出身。学生時代より執筆活動をスタートする。得意な分野は格闘技。昨年は下山田が出場したアジア選手権や世界選手権も現地で取材した。2008年の上梓した『吉田沙保里 119連勝の方程式』(新潮社)でミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。主な著書に『東京12チャンネル運動部の情熱』(集英社)、『吉田沙保里と伊調馨 日本の女子レスリングはなぜ強いのか』(双葉社)、『格闘技絶対王者列伝』(宝島社)などがある。