これまでスポーツ現場では、怒鳴る指導方法が伝統的かつ普遍的だった。そして、これは日本だけの現象ではない。選手に心理的なプレッシャーをかける指導方法は、アメリカでもよく問題にされる。例えば野球でエラーした選手に「しっかりボールを捕れ!」と怒鳴るコーチは、アメリカでもリトルリーグから高校野球に至るまですべてのレベルで珍しくない。ただでさえ気落ちしている選手をさらに攻撃したところで、何の益もないことは明白だ。しかし、もはや条件反射のようになってしまっているのだろう。

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言うは易く行うは難し

では、怒らないならどう指導すれば良いのか。そう困惑する指導者は多いようだが、その気持ちは筆者にもよく理解できる。幼児から高校生まで幅広い年齢の少年少女たちを相手に、アメリカで20年以上もスポーツ指導を行ってきたが、思わず指導中に声を荒げてしまい、後で自己嫌悪に陥ることが今でもあるからだ。

大声で怒鳴ると、選手はそのとき一旦は従う。結果を求めるなら、そちらの方が早道なのである。指導に熱心になればなるほど、気がつかないうちに声のトーンが大きくなり、表情は厳しくなってしまう。自分では怒っているつもりはなくても、選手には怒っているようにしか見えない。そんな失敗を繰り返してきた。

スポーツ指導が教育の一環であるならば、指導者は何よりも選手の成長を促すことを考えなくてはいけない。そして、選手自身が自分で考える機会を奪ってはいけない。そう頭の中では理解していても、日々の活動のなかでそれを実践することは難しい。

怒る指導に潜む危険

元NFLの名選手だったジョー・アーマン氏は引退後に牧師となり、同時に高校アメフト部のヘッドコーチになった。著書『InSideOut Coaching』のなかで、アーマン氏は自身が指導を受けた何人もの指導者たちだけでなく、選手の親として見てきた指導者たちについても語っている。

アーマン氏は、指導者には2つのタイプがあると言う。最初のタイプは、短期的な結果を求める指導者だ。権威的であり、高圧的であり、しばしば暴力的にもなる。いわゆる「鬼コーチ」だ。独裁者、いじめ、ナルシスト、不適応者。アーマン氏はそうした言葉を使って、このタイプの指導者を批判する。自分の社会的地位を高めるために、あるいはアイデンティティを維持するために、若い選手たちを利用しているとまで述べている。

しかし、そうした指導者たちが、いつも学校組織や保護者たちから評判が悪いとは限らない。昔も今も、日本でもアメリカでも、「うちの子を厳しく指導してください」と指導者に頼む保護者は必ずいる。そのチームが大会などで好成績を挙げているときは、なおさらそうだろう。スポーツには勝敗がつきものであり、誰だって負けるよりは勝つ方が嬉しいからだ。

怒鳴られて結果を出した選手が、引退後は怒鳴る指導者になる。その連鎖を断ち切ることは難しい。

指導者に求められる資質とは

アーマン氏は自身の高校時代に体育教師だった恩師を例にして、望むべき指導者の姿について次のように語っている。

「彼は選手をコントロールするために、叱ることも、怒鳴ることも、恥をかかせることも、皮肉を言うこともなかった。その 代わりに、スポーツをする楽しみとチームプレイの大切さを繰り返し教えてくれた。その記憶は一生残る」

このような指導者になるためには、どれだけの忍耐力がいるだろうか。例えば、ある選手のエラーが原因で、チームが試合に負けたとしよう。その選手のプレイを非難してしまえば、次に同じような機会があったときに委縮させてしまうかもしれない。それだけではなく、そのスポーツそのものを嫌いにさせてしまう可能性もあるだろう。

スポーツを楽しみながら、それと同時に試合の結果を出すことは容易ではない。失敗を叱らず、褒めるときには大げさに褒める。そう心がけていきたいものだ。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ」とは山本五十六の名言だが、これを筆者は座右の銘としている。

By 角谷 剛 (かくたに ごう)

アメリカ・カリフォルニア在住。米国公認ストレングス・コンディショニング・スペシャリスト(CSCS)、CrossFit Level 1 公認トレーナーの資格を持つほか、現在はカリフォルニア州内の2つの高校で陸上長距離走部の監督と野球部コーチを務める。

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