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メジャー永久欠番の歴史 3球団にまたがる名選手 「42」は全30球団

◆メジャー歴代2位の755本塁打 「44」は永久欠番

今月22日に86歳で死去したハンク・アーロン氏をしのぶ会が、かつてプレーしたブレーブスの本拠地で行われた。アーロン氏は、メジャー歴代2位の755本塁打、歴代トップの2297打点を記録。1982年に野球殿堂入りし、現役時代の背番号「44」は、ブレーブスとブルワーズの2球団で永久欠番となっている。

 

歴史の長いメジャーリーグでは、日本のプロ野球と比べて永久欠番が多い。ヤンキースは1ケタの番号は全て、計21の背番号が欠番となっている。ブレーブスでは、アーロン氏の44番を含む、計11の背番号を使っていない。カージナルスでも13の背番号が対象となっている。

 

永久欠番は1939年に、ヤンキースのルー・ゲーリックがつけていた背番号「4」に敬意を表したことに始まる。1934年に三冠王を獲得するなど、数々のタイトルを手にした名選手だったが、1939年6月、不治の病とされたALS(筋萎縮性側索硬化症)で引退に追い込まれた。ゲーリックが患った病だったことから「ルー・ゲーリック病」と呼ばれている。

 

◆3球団にまたがる永久欠番も

その後、偉大な選手の功績を歴史に刻む動きは広がった。3球団にまたがって永久欠番となっている選手も2人いる。1人目は、1956年にメジャーデビューしたフランク・ロビンソン。歴代10位の586本塁打を記録。三冠王のほか、史上唯一、両リーグでMVPを獲得している。オリオールズ、インディアンス、レッズでつけた背番号「30」は欠番となっている。引退後は初めてのアフリカ系アメリカ人の監督として、インディアンスを指揮した。

 

2人目は160キロを超える速球から「ライアン・エクスプレス」と呼ばれた、ノーラン・ライアン。メジャー27年間で最多奪三振のタイトルは11回。通算5714奪三振は歴代1位だ。エンゼルスでつけた「30」、レンジャーズとアストロズ時代の「34」が永久欠番となっている。

 

2人の選手を称えた永久欠番もある。ヤンキースの「8」は黄金期の捕手だったビル・ディッキーと、その後継者でリーグMVPを3回手にしたヨギ・ベラの背番号。カブスの「31」は最多勝2回、通算284勝のファーガソン・ジェンキンスと、サイ・ヤング賞4回、通算355勝のグレッグ・マダックスが背負った番号だ。

 

◆「42」は全30球団で

30球団全てで永久欠番となっているのが「42」。近代野球初の黒人メジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンを称えた番号だ。ブルックリン・ドジャース(現在のロサンゼルス・ドジャース)に所属したロビンソンはメジャーデビューした1947年、151試合に出場して打率.297、12本塁打、48打点、29盗塁と活躍。盗塁王のタイトルを獲得し、この年に始まった新人王に輝いた。後に、新人王は「ジャッキー・ロビンソン賞」と別名がつけられた。

ロビンソンは1949年に首位打者と盗塁王、さらにリーグMVPにも輝いた。ドジャースはロビンソンが引退した16年後の1972年、黒人選手がメジャーでプレーする道を開拓したことを評して、その背番号「42」を永久欠番にした。そして、1997年にロビンソンのメジャーデビュー50周年を記念して、30球団全てで欠番となった。

 

ロビンソンがデビューした4月15日は、「ジャッキー・ロビンソン・デー」と制定され、全選手が背番号「42」のユニフォームを着てプレーしている。日本のプロ野球で、外国人選手が「42」を好むのは、こうした背景がある。

 

アメリカからも、日本からも惜しまれながら他界したハンク・アーロン氏。偉大な功績は背番号「44」とともに生き続けている。