剣道には、1年でもっとも寒い時期を選んで行う稽古があります。それは「寒稽古(かんげいこ)」です。「寒稽古」は俳句の季語として用いられるほど広く知られている言葉ですので、一度は耳にしたことのある方が多いと思います。季語としての「寒稽古」が表す季節は、もちろん冬。「寒稽古」が冬の厳しい寒さの中で行う稽古だということは、容易にイメージできるでしょう。しかし、剣道の「寒稽古」がどのように行われるのか、詳しくご存知の方は少ないはずです。

今回は、剣道における「寒稽古」をご紹介します。「寒稽古」は剣道の稽古の中でもっとも重要な稽古の1つ。剣道で行われる「寒稽古」を通して、剣道の魅力をお伝えします。

目次

寒稽古とは?

寒稽古は多くの場合、暦上の「大寒」前後に行われます。期間は1〜2週間程度、時間帯は未明から明け方に行われることが一般的です。

剣道の稽古は剣道着と袴を着用して行いますが、アンダーウェアーを着用する習慣がありません。また、ジャケットやコートのようなアウターもなく、靴も靴下も履きません。剣道で着用する衣服は、基本的に夏も冬も変わらず剣道着と袴のみです。真冬の夜明け前に夏と同じ服装ですから、稽古で体を動かすとしても、非常に寒いことがお分かりいただけると思います。

剣道の稽古は剣道場や体育館などの屋内で行いますが、この時期の床は氷のように冷たく、裸足でいると足が凍ってしまいそうです。さらに、寒稽古ではより寒い環境を作り出すために、窓を開け放ってしまうこともよくある話。屋内であっても屋外と変わらない寒さです。想像するだけで、体が縮こまってしまいませんか。

寒稽古は、神道や仏教の一部で行われる寒行に由来すると言われています。このことからも分かるとおり、寒稽古は精神的鍛錬を主眼とした日本古来の修行法です。剣道の稽古は単に技術力や競技力の向上を目指すものではなく、精神的な修養に重きを置いています。剣道における寒稽古は、克己心を養う上で有効な稽古です。寒稽古では身体や精神を追い込むために、激しい打ち込みや体当たりなどの過酷な稽古が行われます。

寒稽古は自分との勝負

私が初めて寒稽古を体験したのは、中学生の頃の部活動です。寒稽古の期間が始まる前日、顧問の先生は私たち剣道部員に「朝起きるところからが勝負だぞ、自分との勝負だ」と言いました。このときの私は、先生が言っていることの意味が分かりませんでしたが、寒稽古が進む中でその意味を理解することになります。

寒稽古初日は、遠足当日のような気分でした。初めて体験する寒稽古にワクワクドキドキしていますから、早朝の起床も苦ではありません。普段歩くことのない夜明け前の暗く静まり返った通学路が新鮮で、厳しい寒さでさえも楽しく思えました。

稽古が始まり激しい稽古メニューをこなすことになりますが、寒稽古という特別な状況に気を張っているため、なんとか稽古にはついていけそうです。稽古後は相応の疲労があるものの、初日の稽古を終えたことで気分爽快。「この程度なら寒稽古は皆勤賞だな」と思いました。しかし、寒稽古の厳しさはここからが本番だったのです。

寒稽古期間中とはいえ、稽古が終われば生活は通常運行ですから、普段通りの授業が始まります。慣れない早起きと激しい稽古による疲労から、強烈な睡魔が襲ってきます。授業中だというのに、何度も船を漕いでしまいました。ここで、顧問の先生が言った「自分との勝負だぞ」が効いてきます。眠たい自分との勝負。私はこのとき、寒稽古は期間中の生活すべてが、自分との勝負なのだとようやく理解します。

寒稽古が2日目、3日目と進む中、自分との勝負は日に日に厳しさを増しました。寒稽古前に先生が言ったように、朝起きるところからが自分との勝負です。まだ寝ていたい自分との勝負。疲労が蓄積し、稽古を休みたい自分との勝負。寒さを避けたい自分との勝負。激しく厳しい稽古から逃げ出したい自分との勝負。初日こそ楽しく思えた早朝の通学路は、日を追うごとに憂鬱な道になっていきます。

最終日の稽古を終え、寒稽古の期間を乗り切ることができたときの達成感は格別でした。寒稽古を経験するまでは理解できなかった、「自分との勝負」の意味がよく分かります。自分の中にある弱い心を知り、その心と向き合ったことで、1つ成長できた気がしました。

寒稽古を経て自信を得る

日本全国には、剣道の寒稽古を年中行事に組み込んでいる中学校や高等学校がたくさんあります。ある学校では武道の授業の一環として、また、ある学校では日本の伝統文化に触れる機会として、全生徒が真冬の早朝に剣道の寒稽古を行うのだそうです。精神的な修養に重きを置いた剣道の寒稽古は、学校教育のカリキュラムとしても有効なのでしょう。

さて、「自信」とは、自分との約束を守ることで得られると言われます。「〇〇をやる」「△△はやらない」など、自分に課した小さな約束を守り続けるなかで、「自分はできる」という自信が生まれるのだそうです。

寒稽古はあらかじめ期間決めて取り組むという点で、「約束」と捉えることができます。剣道家は1年でもっとも寒い時期を選び、寒稽古という名の約束を自らに課します。剣道家にとって寒稽古は、自分を強く信じるための重要な儀式とも言えるでしょう。冬来たりなば春遠からじ。厳しい冬を耐え抜けば、春は必ずやって来ます。

By 三森 定行 (みもり さだゆき)

剣道LABO®︎代表・剣道ファシリテーター。自身の剣道経験と映像編集技術を駆使し、社会人剣道家の上達をマンツーマンでサポートしている。東京・神奈川・千葉・埼玉にクライアント多数。全日本剣道連盟 錬士七段。1976年生まれ。

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