強気の投球や気迫の走り、勇気あるプレーなど。競技中の場面や選手の状態について、「気」という文字を使って表現することがあります。では、皆さんは「気」の存在を意識することはあるでしょうか。

文字として「気」を頻繁に用いるものの、その存在を意識する方は少ないことと思います。「気」は目視で確認することができないため、その存在は曖昧にされがちです。しかし、剣道は「気」の存在が前提になっています。今回のコラムは剣道における「気」の観点から、剣道の魅力をお伝えします。

目次

気とは何なのか?

私は「気」の存在を確かめるために、次のような実験をしました。協力者2人のうち、1人は目隠しした状態で立っていてもらいます。そして、もう1人には竹刀を持ってもらい、目隠しした人の後ろに立ってもらいます。目隠しした人を背後から襲う設定です。目隠しした人の腰を、背後から竹刀で突いてみます。このとき、突く側の人には心の中で、「突くぞ!」と強く叫んでから突いてもらいました。

すると、どうでしょう。目隠ししている人は、竹刀が腰に到達する前に動いて逃げました。目隠ししている状態ですから、突く側の動きを目視で確認することは不可能なはず。もちろん、突く側は声や音を発して合図することはありません。目隠ししていた側に「なぜ動いたのか」と問うと、「腰のあたりがザワザワした」とか「何かが迫ってくる感じがした」と言います。不思議ですね。

別の人たちにも協力してもらい、同じ実験を繰り返してみました。毎回成功する訳ではありませんでしたが、背後からの突きを避けられた人が多くいたことも事実です。このことから、突く側の意識が、突かれる側に伝わったということが言えるのではないでしょうか。つまり、突く側と突かれる側との間には、視覚や聴覚では説明できない何かが存在したということ。私は、この「何か」が「気」なのだと考えています。

「気当たり」と「合気」

冒頭で触れたとおり、剣道は「気」が存在することが前提になっています。剣道では自分の「気」を相手に向けて発したり、相手が発した「気」を感じ取ったり、「気」の存在をイメージすることが重要です。

剣道には「気当たり(きあたり)」という言葉があります。気当たりの意味は、相手に向けて「気」を発すること。「隙あらば打つぞ!」という意思を込めた「気」を相手にぶつけて相手の動揺を誘ったり、緊張や萎縮の状態にさせたりしようとするのが気当たりです。

剣道では、対峙した2人が「ヤー!」と大きな声を出し合う場面があります。これは、大声を出すことで、「気」を相手に向けて発しているのです。

また、剣道には「合気(あいき)」という言葉もあります。剣道における合気とは、相手と「気」を合わせるという意味です。剣道では相手が攻撃に出ようとする、その兆しが勝機だと考えられています。相手が攻撃に出ようとするその兆しが勝機なのですから、相手が攻撃しようとするタイミングに、自分が攻撃するタイミングを一致させなければなりません。相手とほぼ同時に技を繰り出すイメージです。

相手と同時に技を繰り出すには、自分の都合だけでは上手くいきません。お互いの「気」を読み合う必要があります。このように、対峙する2人がお互いの状況に思考を巡らせている状態が「合気」と言えるでしょう。

剣道における「気」の重要性

剣道における「気」のやりとりの一部をご紹介いたしましたが、いかがだったでしょうか。まるで、テレパシーのようですよね。この「気」のやりとりが、私が今回お伝えしたい剣道の魅力です。

剣道は竹刀で相手を叩きますが、竹刀で相手を叩くだけなら暴力です。ですから、剣道では相手も竹刀を持って自分を叩こうとします。武器を持って叩き合うのは争いであり、そこで「気」の存在が重要になってきます。

「気」の存在が前提になっていることによって、剣道は他者との調和を学ぶ機会であると言えるでしょう。先述の通り、剣道の勝機は自分勝手に作れるものではありません。相手の存在を認め、相手と調和をはかり、共鳴した先に勝機が生まれます。結果として勝ち負けはつきますが、それは相手と心を通わせることができた証です。仮に負けたとしても、相手と協力して素晴らしい一瞬を生み出した訳ですから、胸を張って良いのだと思います。

挨拶は日常生活における「気」のやり取り

剣道は、稽古場所を離れても稽古が続いていると言われます。日常生活の中に、剣道の稽古に置き換えられる場面がたくさんあるということなのでしょう。今回ご紹介した「気」のやりとりを日常生活に置き換えた場合、私が真っ先に思い浮かぶ場面は挨拶です。普段ご近所さんと何気なく交わしている、「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」などの挨拶。これが、「気」のやりとりの稽古に通じるように思います。挨拶はたった数文字の短い言葉ですが、その中には無意識的に、次のような思いが込められているはずです。

「私はあなたの存在を認めていますよ。そして、私はあなたと良い関係を築きたいと思っています。できれば、あなたにも同じように私の存在を認めてほしいです」

最近、私は「気」の稽古の一環として、今まで無意識だったこのような思いを、意識的に挨拶に乗せるようにしています。思いを「気」に乗せて伝えるという点で、気当たりの稽古です。気持ちよく挨拶を返してくれる人もいれば、残念ながら挨拶が返ってこないこともあります。挨拶が返ってくれば、その人とは合気になれたととらえて嬉しくなります。

相手の存在を認め、相手と調和をはかり、共鳴した先に勝機が生まれる。私は日常を豊かに過ごす術を、剣道という名の先生からたくさん教わっているように思います。

By 三森 定行 (みもり さだゆき)

剣道LABO®︎代表・剣道ファシリテーター。自身の剣道経験と映像編集技術を駆使し、社会人剣道家の上達をマンツーマンでサポートしている。東京・神奈川・千葉・埼玉にクライアント多数。全日本剣道連盟 錬士七段。1976年生まれ。

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