ブラインドサッカー(ブラサカ)をご覧になったことがあるだろうか。私は初めて映像を観たとき、その想像以上に激し過ぎる選手たちの姿に「どうしてこんなに動けるの…?」という思いを抱いた。ブラサカとは、いわゆる“見えないサッカー”。ボールから鳴る音とかけ声の指示、そして仲間や相手との距離の感覚を頼りにサッカーをプレーする。アイマスクを装着して視界を閉ざした選手たちが、ドリブルやパスまわしを行ってピッチで競い合うのだ。

真っ暗闇の中でのサッカーを想像してみてほしい。その中でゲームが成立するのがブラサカである。パラリンピック正式種目でもあり(男子のみ)、東京2020大会では日本代表のプレー技術が高く評価された。ブラサカは視覚障がい者だけではなく晴眼者(視覚に障がいのない人)でも参加可能。そのため、企業のチームビルディングプログラムなど活動の輪は広がっている。

とはいえ、まだブラサカに触れたことがないという方は多いだろう。そこで、今回は日本初のブラサカ女子チームを創設した「スフィーダ世田谷ブラインドフットボールチーム」鈴木康夫GMに、ブラサカの魅力について伺った。クラブチームを創設した理由、そして障がい者スポーツをビジネス化する意義などと共にご覧いただきたい。

目次

ブラインドサッカーは自由に動きまわれる競技

一番右側が鈴木氏

ブラサカの特徴に、他の視覚障がい者スポーツよりも制限が少ないことが上げられる。他競技は安全配慮のためポジションが固定的であったり、障がいのレベルによってカテゴリー・グレード分けがあったりする。しかし、ブラサカは極めて制限が少なく、流動的にフィールド内で自由に動き回ることが可能だ。障がいのある方は、日常から晴眼者より行動範囲など制限が多い。その点、ブラサカはフィールドで自由に動き回れる解放さに魅了される人も多いという。

<ブラサカ・ルール(国際大会の基準)>

5人制の競技
 ※FP(フィールドプレイヤー)4人、GK(ゴールキーパー)1名+スタッフ(監督1名、ガイド1名)
 ※相手チームのゴール裏に指示を出すガイドがいる。
 ※監督は自陣サイドフェンス外側から指示を出す。

②ゴールキーパー以外の全員がアイマスクを着用する。

③キーパーは晴眼者または弱視の人が務める。

④転がると音のなるボールを使用。

⑤プレイングタイム前後半20分ずつ(国内大会は大会規定による)。

FPはボールを取りに行くときに危険な衝突を防ぐため「ボイ」とかけ声を出す。発しないとファウル。ボイはスペイン語で「行く」という意味。

試合では指示の声とボールの音を頼りにするため、静寂の会場にボールの鈴の音と肉体同士がせめぎ合う音が響く。視覚障がい者には、生まれつき障がいがある人と途中から障がいが出てきた人がおり、鈴木氏は次のように話してくれた。

「過去に見えていた人は、過去に見た形や色で想像して描いています。生まれつき障がいを持った人も、頭の中に絵を描いて動いています。例えるなら、黒い世界に白く線状に人間がいて…と感覚で想像の世界を描いているんです。」

聴覚を研ぎ澄ます選手たちは、相手の声から身長や体型も想像ができると言う。プレー中も距離やピッチも無意識レベルで判断がつくほど、認知する能力を練習で鍛え上げている。

「例えばボクシングでパンチをするとき、選手は腕の角度や距離なんていちいち考えないじゃないですか。それと一緒で、選手は無意識レベルで動いているんです。初めてプレーする人は、見えない恐怖で最初は自由に動けません。私たちは情報の8割を視覚から取り入れるので、視覚を遮断されると恐怖を感じるのは当然。しかし、時間が経って感覚をつかんでくると、自由に動き回れるようになるんですよ。」

そう説明する鈴木氏の表情はにこやかだ。観戦しても体験しても、固定観念をくつがえされる競技。それがブラサカと言えるだろう。

世界を驚愕させた日本の三次元プレー

東京2020パラリンピックで日本は開催国枠で念願の出場を果たし、5位という成績をおさめた。特に話題になったのは、5位・6位決定戦で世界ランキング3位の強豪・スペインと対戦した際、黒田智成選手が決めた決勝ゴールだ。キャプテン・川村怜選手のコーナーキックから黒田選手が飛び込んでゴールした。日本のプレースタイルについて、鈴木氏は次のように話す。

「最近のプレーは三次元になっています。それまではボールの音を頼りに芝の上を転がす“面”のプレーが多かったものの、近年ボールを空中に飛ばすプレーなども増えました。最大のポイントは、空中にボールが上がると音が鳴らないこと。相手に読まれづらいプレースタイルを作り上げることができるのです。」

しかし、このプレーは言葉で言うほど簡単ではない。ポジションとタイミングを繰り返し練習した賜物が黒田選手のゴールとなり、世界中を驚かせた。そんな黒田選手は、視力があったときにマンガ『キャプテン翼』を見て育ったという。その印象的なプレーを今でも頭の中で描き、未だ誰も見たことがないプレーを見出そうとしている。日本にブラサカの国際ルールが上陸して約20年。日本の技術は確実に向上している。

サッカー好きだった少女が、再びプレーできるように

ブラサカの広がりはパラリンピックの活躍だけではない。現在は視覚障がい者だけではなく晴眼者や健常者など、誰でもできるサッカーとして日本では普及している。ブラサカの普及を鈴木氏は喜んでいるが、その反面、課題もあると話す。

「パラのブラサカの実力差は、国の経済格差が如実に出てきます。今アジアでは中国・イランが強い。それは、国がエリートを集めて技術・戦略分析などの最先端を取り入れている影響です。もちろん金メダルも大切。ですが、私はもっとブラサカという競技が持つ可能性の価値を上げていきたいんです。確かにパラ選手のプレーは華麗ですが、競技の中でもブラサカは割と動きが激しいため、できない人もいます。パラ選手の話になると、どうしても“すごいことをやっている障がい者”になり、捉え方に偏りが出てしまうのではないでしょうか。だからこそ、私はもっと日常のこと、根本的なことを伝えていきたいと思っています。」

鈴木氏は約一年前、女子サッカークラブチーム「スフィーダ世田谷」に女子のブラサカチームを創ろうと提案を持ちかけた。なぜ、ブラサカの女子チームだったのか。そのキッカケは一人の少女との出会いだった。

地域のサッカークラブで、将来女子サッカー選手になりたいと頑張っている中学生の少女がいた。彼女は弱視になったことをきっかけにブラサカを始めたが、しかし競技上一つの課題があった。それは、ブラサカが基本的に男女混合だということ。女性は体格差で、どうしても競り負けてしまう部分がある。当時はブラサカの女性のチームもリーグもなかった。彼女の頑張りを見ていた鈴木氏は、昔から描いていたブラサカの女子チーム創設に本腰をあげることに。それが2019年のことであった。

ボランティア精神に頼る障がい者スポーツへの変革

鈴木氏はサッカー好きな少年だった。しかし、運動するとすぐに息が切れて体力が続かず、運動は苦手。当時は原因不明だったが、数年前に心臓に疾患が見つかり、息が切れやすかった原因が大人になってから判明した。

小さい頃から地元・横浜市三ツ沢でサッカーチームの試合を夢中になって応援したり、チーム存続危機の際には広報担当となって市民を巻き込む活動も展開したりした。26歳の頃にはコンピューターの修理エンジニアの仕事をしながら、横浜FCの取締役として広報活動・スポンサー集めなどスポーツビジネスにも関わっていく。そして、2015年にブラサカに出会った。知人からブラサカに誘われた鈴木氏は「つまらなかったら帰ろうと思っていた」というが、実際目にすると想像以上に面白かった。プレーしてみると、ボールをキープするどころか取ることもできない。鈴木氏は一気にブラサカにのめり込んだ。

飛び込んだブラサカの世界に魅了されていく一方、課題も見えてきた。運営がボランティア頼みで、選手も遠征費・道具代など持ち出しでやりくりしている。すべては善意に頼り切った活動だったのだ。それでは選手や競技の継続性につながらない。鈴木氏は現状に変革を起こしたいと考えはじめ、こんな構想を抱いた。

「視覚障がい者の選手が、ブラサカだけで食っていけるようになったら最高じゃないか。」

そして先ほどの少女との出会いをキッカケに、数年間描いていたチーム創設に向けて一気に動き出したのだった。

地域に根ざしたチーム・競技の価値を高めること

鈴木氏は早速ビジネスプランを練り上げるため、特定非営利活動法人日本ブラインドサッカー協会 が主催する「第4期 アクサ 地域リーダープログラム with ブラサカ」というプログラムに申し込む。そして半年間、徹底的にチーム運営のビジネスプランを練り上げた。具体的にはスポンサー獲得のための「ブラサカ体験会イベント」「ブラサカを取り入れたチームビルディング研修プログラム(新人研修・社内研修向け)」の開発、助成金の申請・確保、視覚障がいの世界(多様性)を子どもたちに伝える「絵本の読み聞かせイベント」など。チーム認知の向上案とともに、地域密着型の構想を綿密に練った。プログラム発表会では満場一致で合格点をもらい、縁故あったスフィーダ世田谷へプレゼンに。一年前に持ち込んだときは難色を示されたが、満を持した提案は即決でOKが出た。

そして20217月、日本初の女子チームとしてリーグ参入を目指す「スフィーダ世田谷BFC」が発足。しかし練習場所の確保、現在ブラサカの女子はパラ競技になっていないこともあり選手が集まりにくいこと、コロナによるイベント開催の延期など課題は山積みだ。

「ブラサカ女子チームでは、他のチームにはない価値が生まれます。スポーツは地域密着でファンを作ることが大切。地域には健常者だけではなく、障がいのある人や外国の人もいるでしょう。そういう人に寄り添える、手を差し伸べられる活動をしていきます。」

左からしまちゃんと鈴木氏

現在、チームに所属して練習をする小学4年生のしまちゃんがいる。しまちゃんはブラサカに必要なマスクを、お小遣いを貯めて鈴木氏から購入した。「このお金は使えないよ〜」と大事そうにお金の入った袋の写真を見せてくれたが、「この子が数年後、どんなプレーをするのか楽しみ」と嬉しそうに微笑む。

せめぎ合う人間の姿がスポーツの魅力だけではない

鈴木氏はGMを務めながら他に職を持っているが、いずれはブラサカを通じた活動に専念したい思いがある。ここにたどり着くまで、創造したい世界のイメージを言葉にしながら、力を貸してくれる人が少しずつ集まって今の形になっていった。目下の目標は2022年のブラサカ東日本リーグに参戦すること。チームは船出をしたばかりで、この先は未だ見えない。しかし、見たい者にしか見えない世界を創っていくのだろう。

▼参考
特定非営利活動法人日本ブラインドサッカー協会
スフィーダ世田谷BFC(Facebookページ)
鈴木康夫(LitLink)

鈴木康夫(すずき やすお) 

スフィーダ世田谷BFC ジェネラルマネジャー

1972年7月26日生まれ。横浜市神奈川区三ッ沢出身。湘南工科大学附属高等学校を経て、1993年日本工学院八王子専門学校電子工学科卒業。半導体製造装置フィールドエンジニア、米国スーパーコンピュータメーカー品質保証エンジニア、横浜FC取締役広報、基盤系システムエンジニア、建築系環境コンサルタントを経て、現在は元Jリーグサッカー選手・深川友貴氏の支援を受けながら、障害者と健常者のインクルーシブな社会作りを目指してスポーツイベントの講師を中心とした活動を行っている。バルサ財団(FCバルセロナ)の公認コーチとしてFutbolNet方法論に基づいた青少年育成プログラムを展開する事業計画を策定中。また、ブラインドサッカーチーム「スフィーダ世田谷BFC」ではジェネラルマネジャーとして手弁当でチームの構築を進めている。口癖は「優しい世界をつくる」。座右の銘は「夢は叶えるためにある」。

<競技としてのスポーツ歴>
野球:小学4年~5年生、サッカー:小学5年~6年生、卓球:中学1年生、ブラインドサッカー:2015年~現在

<資格等>

  • 日本サッカー協会スポーツマネジャーGrade2
  • 日本ブラインドサッカー協会公認コーチ
  • バルサ財団公認FutbolNetコーチ
  • 日本障がい者スポーツ協会初級障がい者スポーツ指導員

[著者プロフィール]

たかはし 藍(たかはし あい)
元初代シュートボクシング日本女子フライ級王者。出版社で漫画や実用書、健康書などさまざまな編集経験を持つ。スポーツ関連の記事執筆やアスリートに適した食事・ライフスタイルの指導、講演、一般向けの格闘技レッスン等の活動も行う。逆境を乗り越えようとする者の姿にめっぽう弱い。
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By New Road 編集部

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