陸上競技の“十種競技”という種目は、その王者が「キング・オブ・アスリート」と呼ばれる。その理由は、走る・跳ぶ・投げるという全ての種目において競われる種目の中で、その頂点に輝く存在だからだ。例えば100mと200mのように複数の走種目、もしくは100mと幅跳びのように走跳種目の組み合わせで競技する選手は少なくない。しかし十種競技は文字通りに“10の種目”を行い、その中には走跳投の種目が混在している。これだけで、競技のハードさが想像できるのではないだろうか。なお、女子七種競技も同様に、その王者は「クイーン・オブ・アスリート」と称される。

十種競技の結果は点数で表される。例えば東京2020オリンピックではカナダのダミアン・ワーナー選手がオリンピック記録で優勝したが、記録は9018点だった。これは世界歴代4位の記録なのだが、点数だけ見ても凄さは分かりにくいかもしれない。そこでワーナー選手の記録を10の種目別に分け、1つ1つ比較を交えながら解説していこう。実際の大会と同様、5種目ずつに分けて全2回でお届けする。

目次

十種競技の概要と面白さ

実のところ、筆者自身が元十種競技の選手だ。中長距離からの転向という異色の経歴で、輝かしい記録を持っているわけではないが、その難しさと面白さは十分に理解している。その視点も踏まえ、まずは十種競技という種目についてお伝えしたい。

十種競技は「混成種目」に分類され、大会では10の種目を2日間に分けて(1日5種目)行う。各種目とも記録毎に点数が決まっており、十種目を終えた時点での合計点で競うのだ。なお、実施される種目と順番は以下の通りである。

<1日目>

  1. 100m走
  2. 走り幅跳び
  3. 砲丸投げ
  4. 走り高跳び
  5. 400m走

<2日目>

  1. 110mハードル
  2. 円盤投げ
  3. 棒高跳び
  4. やり投げ
  5. 1500m走

長距離種目こそないが、ご覧の通り走跳投のさまざまな種目が含まれる。そして選手たちは、日頃から全種目に対応すべく練習に取り組んでいるのだ。種目に得手不得手のある選手は多く、例えば筆者は身長が低いので高跳びや棒高跳びは苦手だった。では苦手種目に重点を置くのか、それとも得意種目を伸ばしていくのか。ここでトレーニング内容を論じることは避けるが、そうした練習方法の検討もまた十種競技の難しいところだろう。

大会では各種目で記録が出るが、1種目ずつ順位で競うものではない。記録はすべて点数化され、これを加算して十種目の合計が結果となる。たとえ1日目で結果が振るわなくても、得意種目が2日目に多ければ逆転もあり得るだろう。それは、例えるなら運動会の点数に似ているかもしれない。

もちろん十種目すべて競技し切るためには、競技間、あるいは1日目と2日目の間における過ごし方も重要だ。できる限り疲労を抜き、種目ごとにベストな状態で挑む。例えば跳躍・投擲のように複数回で試技するあ種目では、早い段階で十分な記録を出した場合、その段階で後の試技を避けることもだろう。これは、無理に1つの種目で得点を追求するより、勝負所に力を残しておくための戦略と言える。もちろん順位を競ううえで現状の得点に不足があれば、これを埋めるため限界に挑んでみるのも一つの方法だ。こうした駆け引きを感じとりながら競技を見てみると、より十種競技の面白さが高まるかもしれない。

特に最終種目となる1500mは、すべての選手がまさに力の限りを尽くす。9種目を終えて疲労も蓄積した状態で、最後の力を振り絞るのだ。点数が僅差であれば逆転するには1500mしか残っていないし、この1500mでの逆転劇は多く見られる。その姿には力強さの中に、きっと美しさすら感じられるだろう。そして競技を終えると、選手達がお互いを称え合う。そこに年齢や国籍などは関係なく、選手同士は競うべき相手であると同時に、2日間を共に戦い抜いた仲間なのだ。

ダミアン・ワーナー選手の記録

それでは東京2020オリンピックでオリンピック記録の記録を出し、その頂点に輝いたダミアン・ワーナー選手の記録を見てみよう。以下が総合・種目別の結果一覧だ。総合1位ではあるが、種目別で見るとトップを獲得したのは3種目のみ。しかし、いずれの種目でも高い水準の記録を残して優勝に輝いた。

総合

9018点(オリンピック記録、歴代4位)

100m走

10秒12(1066点)※種目別1位

走り幅跳び

8m24cm(1123点)※種目別1位

砲丸投げ

14m80cm(777点)

走り高跳び

2m02cm(822点)

400m走

47秒48(934点)

110mハードル

13秒46(1045点)※種目別1位

円盤投げ

48m67cm(843点)

棒高跳び

4m90cm(880点)

やり投げ

63m44cm(790点)

1500m走

4分31秒08(738点)

あらかじめ補足しておきたいのが、いずれの競技も「十種目の中の1つ」であるということ。これを踏まえてご覧いただくと、この記録がいかに驚異的であるかが分かりやすいはずだ。

100m走|10秒12

2021年、国内でこれと全く同じタイムがシーズンベストという選手がいる。それが、東京2020オリンピックで男子4×100mリレーに出場した桐生祥秀選手(日本生命)だ。自己ベストは9秒98だが、今シーズンは2021年6月の日本選手権・予選で出した10秒12。ちなみに同大会の優勝者は多田修平選手(住友電工)で、決勝タイムは10秒15だった。あるいは2019年の世界陸上ドーハでは、男子100m決勝の8位のアーロン・ブラウン選手(カナダ)で10秒08。これには僅かに及ばないが、100m単独で見ても十分に世界を舞台として戦えるレベルであることが分かる。

ちなみに本種目、ワーナー選手の0.110秒というリアクションタイムも驚くべき数値だ。リアクションタイムとは、スタート音が鳴ってからスターティングブロックに設けられたセンサーが反応するまでの時間。つまり号砲に対し、どれだけ速くスタートしているかを示す。例えば東京2020オリンピックで100m優勝のラモント マルセル・ジェイコブズ選手(イタリア)は0.161秒だし、同決勝でもっともリアクションタイムが短かったのは2位フレッド・カーリー選手(アメリカ)0.128秒。ワーナー選手は、この両者よりも反応が速いのだ。

走り幅跳び|8m24cm

こちらは、単純に東京2020オリンピックの走り幅跳び結果と比較すると分かりやすいだろう。この種目では橋岡優輝選手(富士通)が、日本選手として37年ぶりに決勝へ進出したことで覚えている方も多いはず。8m10cmという結果で6位入賞を果たした。なお、金メダルに輝いたのはミルティアディス・テントグル選手(ギリシャ)で8m41cmで、銀メダルはフアン ミゲル・エチェバリア選手(キューバ)が同じ8m41cmで獲得。そして銅メダルはマイケル・マッソ選手(キューバ)だったが、その記録は8m21cmである。つまりワーナー選手の走り幅跳びは、この種目単体でもメダリストレベルなのだ。ちなみに東京2020オリンピックの十種競技・走り幅跳びで、8mを超えたのはワーナー選手だけだった。

砲丸投げ|14m80cm

砲丸投げで、ワーナー選手は全体4位の記録だった。トップは15m31cmのピアス・ルパージュ選手(カナダ)だ。さすがに投擲種目では、先に挙げた100mや走り幅跳びのようにはいかない。例えば東京2020オリンピックで、男子砲丸投げの金メダリストはライアン・クルーザー(アメリカ)。なんとオリンピック記録の23m30cmという記録を出している。

十種競技に取り組むうえでは、身体づくりも重要なポイントだ。例えば砲丸投げや円盤投げは、下半身だけでなく上半身の筋力も欠かせない。しかし、これら投擲種目のために上半身の筋力を高めた結果、身体が重くなって走るのが遅くなったり、跳べる距離が短くなったりしては本末転倒だ。そのため、全体的に見て投擲種目は記録の水準が下がってくる。

とはいえ、決してこの記録は侮れるものではない。例えば関東の大学生トップを決める関東学生陸上競技対校選手権大会(通称:関東インカレ)では男子1部のA標準が14m50cmであり、ワーナー選手の記録はこれを上回る。大学生と言えば、東京2020オリンピックでも多くの選手が日本代表として各種目に登場した。そう考えれば、この記録もまた素晴らしいものであることが分かるだろう。

走り高跳び|2m02cm

そもそも、2m02cmという高さを想像してみてほしい。恐らくほとんどの方にとって、これは自分自身の身長を軽く超える高さだろう。しかしこの記録は同率8位であり、1位はニクラス・カウル選手(ドイツ)とアシュリー・モローニー選手(オーストラリア)の2m11cmだった。

他種目と比べるとワーナー選手にとって、走り高跳びは十種目の中で苦手とする種目なのかもしれない。スプリント力があるとはいえ、走り高跳びではその力を上方向へと変えなくてはいけない。バーを越える空中動作も技術が必要であり、トップ選手でも試技により“まさか”の失敗も起こりやすい種目だ。それでも2mを超える記録は、実際のところ素晴らしいものと言える。

例えば関東インカレなら、男子1部B標準が2m03cmだ。男子2部なら同じB標準は2m00cmとなり、ワーナー選手の記録はこれを超えている。あるいは2020年全国高等学校リモート陸上競技選手権大会なら、2m02cmは8位入賞に位置する記録である。

400m走|47秒48

400mは全体で3位の成績と、やはりワーナー選手の高いスプリント力が伺える。ただ、100mと比べて400mにはスピード維持の要素が強くなるほか、走り方にも違いが出てくるもの。こうした点から、この種目では46秒台を出したアシュリー・モローニー選手(オーストラリア)とピアス・ルパージュ選手(カナダ)に及ばなかった。しかしワーナー選手の記録も、関東インカレの男子1部A標準である47秒80を上回るほか、2020年全国高等学校リモート陸上競技選手権大会なら6位に入る記録だ。

しかもこの400mは、4種目を終えて1日目の最終種目。100mや走り幅跳びなどスプリント能力の発揮される種目も含まれており、そのうえで47秒48という結果は驚きのものだ。2021年の日本選手権では400m決勝の8位が47秒18だったが、400m単体ならワーナー選手はこれを上回るかもしれない。

全種目がトップアスリート級

ここまで、1日目に実施された5種目について見てきた。選手によって得手不得手はあるものの、ワーナー選手の記録はいずれもトップアスリート級と言えるだろう。そもそも1日に5種目を行うことは、それだけで想像以上にキツイものだ。1つ1つの種目に集中するだけでなく、他選手との差を見極めながら戦略を練るために精神面にも負担が掛かる。

しかし、十種競技はこれだけで終わらない。これだけの記録を出しながら、なお2日目に異なる5種目が待っているのだ。心身に疲労が残る中で、どれだけのパフォーマンスを発揮できるか。続きは後編でご覧いただきたい。十種競技、あるいはワーナー選手の競技に興味を持たれた方は、NHK「東京2020オリンピック」サイトで動画を見てみよう。

<参考>
2020年全国高等学校リモート陸上競技選手権大会
第105回日本陸上競技選手権大会
NHK 東京2020オリンピック|男子十種競技

※記録等は2021年8月10日時点の情報です

By 三河 賢文 (みかわ まさふみ)

“走る”フリーライターとして、スポーツ分野を中心とした取材・執筆・編集を実施。自身もマラソンやトライアスロン競技に取り組むほか、学生時代の競技経験を活かした技術指導も担う。ランニングクラブ&レッスンサービス『WILD MOVE』を主宰し、子ども向けの運動教室やランナー向けのパーソナルトレーニングなども。4児の子持ち。ナレッジ・リンクス(株)代表。