2021年8月、ジョージア州からメイン州までの米国14州にまたがる「アパラチアン・トレイル」(総距離3,524km)の最速踏破記録を目指していたスコット・ジュレクが、故障のために途中リタイヤした。スタートしてから僅かに1週間後のことである。ジュレクは6年前の2015年に同トレイルを完走。当時の最速踏破記録(468時間7分)を樹立したが、その記録は後に3人のランナーによって破られていた。

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2000年代を代表するウルトラランナー

ウルトラマラソン(42.195kmを超える距離のマラソン)を走るランナーたちの間で、ジュレクはとても有名な存在だ。ウルトラマラソンの世界においてメジャーとされる、ほとんどのレースで優勝経験がある。その主なものを挙げてみるだけで、以下の通りまさに枚挙にいとまがない。

  • ウエスタンステイツ(160kmトレイルレース)7連覇|1999-2005
  • スパルタスロン(246km3連覇|2006-2008
  • バッドウォーター・ウルトラマラソン(217㎞)2連覇|20052006

2009年に発行されたベストセラー『BORN TO RUN 走るために生まれた』(NHK出版)は、世界的なランニングブームを巻き起こした。日本語版ではサブタイトルに「ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族」とあるが、そのウルトラランナーとして登場するのがジュレクである。そのため、スコット・ジュレクの名前はウルトラマラソン以外の世界でも広く知られるようになった。

41歳で樹立した記録に47歳で再挑戦

ウルトラマラソンにおけるジュレクの輝かしいキャリアは、そのほとんどが1990年代後半から2000年代前半までに成し遂げられたもの。1973年生まれのジュレクは、20代後半から30代前半までの最盛期にあった。そのジュレクが再び世界を驚かせたのが、2015年の「アパラチアン・トレイル」最速踏破記録である。

当時、ジュレクの年齢は41歳。度重なる故障に見舞われ、完走すら危ぶまれる危機を乗り越えて、それ以前の記録をわずか3時間差で更新するというドラマチックな結末だった。ジュレクはこの挑戦を、『NORTH 北へ』(NHK出版)と言うタイトルで1冊の本にまとめている。アパラチアン・トレイルの総距離は3,524kmで、日本列島を縦断するより長い(稚内から鹿児島までは約2,700km)。しかも険しい起伏が続く山道である。それを1日平均80㎞くらいのペースで、約45日間も連続で休みなく進み続けると言うのだから、市民ランナーの筆者にとってはまさに想像を越えた世界だ。

ジュレクは47歳になったこの夏、このアパラチアン・トレイルの最速踏破記録に再び挑んだ。故障による途中リタイヤという残念な結果に終わったものの、挑戦するだけでもはや偉業と言えるだろう。

菜食主義(ヴィーガニズム)の実践と啓蒙

ジュレクはヴィーガン(完全菜食主義者)であることでも知られている。ミネソタ州で生まれ育ったジュレクは、ごく当たり前のように肉食とジャンクフード中心の生活を送っていた。しかし、本格的に長距離ランナーとして活動し始めた20代中頃から、菜食主義を取り入れている。

ジュレクが実践する食生活はあるときには「ヴィーガニズム」と呼ばれ、また、あるときは「Plant-based Diet(植物由来の食生活)」と呼ばれることがある。両者はほぼ同意であるが、前者は宗教的、哲学的、地球環境などの信条を含めたライフスタイルそのものを指すことが多い。これに対して、後者は健康やアスリート能力向上を目的とした、広義のダイエット法(食生活)の1つだと言ってよいだろう。

ジュレクもまた、菜食生活が身体に及ぼす効果を繰り返し説いている。特に強調しているのが、筋肉の炎症を抑え、回復力を高める効果だ。菜食生活に切り換えてから激しい練習をしても疲れにくくなったほか、筋肉痛になることも減り、そして練習やレース後の回復力が飛躍的に向上したとジュレクは述べている。とは言え、ジュレクはけっしてガチガチの教条主義者というわけではない。1回目のアパラチアン・トレイル走破後、飲酒が禁止されている自然公園内でシャンパンを祝杯に上げ、後に500ドルの罰金を科せられている。

そんなジュレクの著作に、『EAT&RUN 100マイルを走る僕の旅』(NHK出版)というタイトルの自伝がある。これは自身の食生活の変遷と、ランナーとしての経歴を語ったものだ。各章の終わりにはジュレクが料理するレシピも出てくるので、植物由来の食生活について現実的に有用な本と言えるだろう。ジュレクの食あるいはランナーとしての姿に興味のある方は、ぜひ読んでみると良いだろう。

[筆者プロフィール]

角谷剛(かくたに・ごう)

アメリカ・カリフォルニア在住。米国公認ストレングス・コンディショニング・スペシャリスト(CSCS)、CrossFit Level 1 公認トレーナーの資格を持つほか、現在はカリフォルニア州内の2つの高校で陸上長距離走部の監督と野球部コーチを務める。

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By New Road 編集部

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