心理的プレッシャーに強い、あるいは弱いと評されるアスリートがいる。サッカーならPK戦、野球なら同点で迎えた最終回2アウト満塁の打席など試合の勝敗を決める土壇場では、経験豊かなプロ選手でも大きな緊張を強いられる。そのような緊迫した場面に強い選手と弱い選手がいるとすれば、それは運動能力の違いよりも、心理的な緊張への対応力によるものだと容易に想像がつくだろう。

心理的な緊張がアスリートのパフォーマンスに影響を及ぼすこと自体、否定する人は少ないだろう。緊張で体がガチガチに固まるといった表現は珍しくない。しかし、その悪影響とはどの程度なのか、具体的に数量化することは非常に困難である。この問題について、アーチェリー選手の心拍数が競技中にどのように変化するかという視点から問題に取り組んだ研究(*1)が、心理学ジャーナル『Psychological Science』に最近発表された。

*1. Psychological stress impedes performance, even for Olympic athletes.

論文著者は南京大学のYunfeng Lu氏と、シンガポール国立大学のSongfa Zhong氏である。ちなみに彼らの専門はビジネスや経済であり、スポーツでも心理学でもない。

目次

東京2020オリンピックのアーチェリー競技で行われた史上初の試み

研究は2020年東京オリンピックで行われた、史上初の興味深い実験から得られたデータを活用した。アーチェリーの競技中、選手の心拍数を無接触で遠隔計測する機器を用いて記録したデータである。パナソニック社が提供した機器は、選手の皮膚反射率から心拍数を96%の精度で割り出すことができるという。選手たちは一切の機器を装着せず、従って物理的な影響は排除されていた。

アーチェリー競技では70m先にある的を狙って、決められた回数だけ矢を放つ。1射につき制限時間は20秒以内。的の中心部に当たると最高点が与えられ、中心から離れるにつれて点数が減る。研究では東京オリンピック期間中、合計で122人の選手が放った2,247射の結果と心拍数の関連を調べた。

心理的緊張への対応が競技の優位性を左右する

心理的ストレスが高まると心拍数が上がる。「緊張して心臓がドキドキする」現象は、誰でも経験したことがあるだろう。上記の研究も、そのことを裏付けるものだった。心拍数の変動と競技パフォーマンスの間に、強い相関性が認められたのだ。

矢を放つ前に心拍数が高くなる選手は、その射で獲得する得点が低くなった。オリンピックに出場するレベルの選手でさえである。そして、その傾向は選手の年齢や性別間では大きな相違はなかったが、順位が低い選手ほどパフォーマンスの悪化が著しかった。また、心拍数と得点結果の相関性は、競技終了に近づくにつれて強くなっていったという。

論文著者らは、ニュースリリースで次のように述べている。

「私たちは高い心拍数が低い得点に繋がることを発見しました。つまり、世界最高レベルのアスリートでさえ、心理的ストレスによって悪影響を受けるということです。彼らはそうしたプレッシャーに打ち克つ訓練を受けているにもかかわらずです」
EurekAlert!「ASSOCIATION FOR PSYCHOLOGICAL SCIENCE」ニュースリリース より)

それならば、アスリートはどのように心理的ストレスを克服するべきなのか。これについて、この論文では語られていない。プレッシャーに強いか弱いかは生まれつきの性質なのか、あるいは経験や訓練によって強化できるものなのかも分からないままだ。

驚くな、恐れるな、疑うな、迷うな

メジャーリーグ史上伝説の名捕手だった故ヨギ・ベラ氏が語ったとされる以下の名(迷)言は今でも有名だ。

「野球の90%はメンタル(精神)で、残りの半分がフィジカル(身体)だ」

計算は合わないが、言わんとするところは伝わってくる。スポーツ競技における心理的作用はずっと以前から重要視されてきたのである。

心理状態が身体運動に強く影響することは、日本でも特に新しい考えではない。例えば武道の世界では、しばしば“不動心”という言葉が強調される。剣道には『四戒(しかい)』と呼ばれるものがあり、『驚(きょう)』『懼(く)』『疑(ぎ)』『惑(わく)』の心理状態を戒める。

剣道の達人と呼ばれる人たちの心拍数を遠隔計測すると、常人より低い数値が検知されるのだろうか。野球の3割打者は、2割打者より心拍数の変動は小さいのだろうか。これについて、以前なら想像するしかなかっただろう。しかし、テクノロジーの発達は、そうした分野にも科学のメスを入れることを可能にした。今後、新たな研究がなされることを期待したい。

By 角谷 剛 (かくたに ごう)

アメリカ・カリフォルニア在住。米国公認ストレングス・コンディショニング・スペシャリスト(CSCS)、CrossFit Level 1 公認トレーナーの資格を持つほか、現在はカリフォルニア州内の2つの高校で陸上長距離走部の監督と野球部コーチを務める。

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