少し以前になりますが、6月4日(日)に「仙台国際ハーフマラソン」へ出場しました。柴又100K、そして東京ウルトラマラソンから3週連続のレースとなるため、トウモロコシの仮装にて1時間半を目安としたファンランです。

私は宮城県仙台市の出身。本大会の開催地である仙台には、高校卒業まで住んでいました。以降はずっと関東在住で、仙台を訪れるのは実家帰省の年1回が基本。しかし、こうしたレース出場をキッカケとして、数年前からは年に何回も故郷を訪れることができています。恐らく、走っていなければその機会はずっと少なかったでしょう。あまり頻繁だと実家の両親も煩わしく感じるかもしれませんが、たびたび両親の様子を見られるのは私にとって嬉しいこと。「仙台国際ハーフマラソン」はテレビやインターネットでも中継されるので、いつも私がどこかで映らないか探してくれているそうです。

目次

懐かしい景色、そして新しい景色を楽しむ

私はBブロックからのスタート。この大会は県内だけでなく、全国各地から大勢のランナーが集まります。トップ選手も走るレベルの高い大会で、周囲には大勢の応援も。仙台市にとっては、まさに年に1度の一大イベントと言えるでしょう。

しかし実際のところ、学生時代はこの大会のことをほとんど知りませんでした。高校まで陸上競技部に所属していたものの、沿道で応援したこともなし。今になって自分自身が走りながら、「もったいなかったな」と感じています。

仙台駅周辺、まさに仙台の中心部を走る都市型コース。仙台市に住んでいる方であれば、きっと何度も通ったことのある場所ばかりです。私も学生時代は花火大会を見に来たり、バンドの練習をしたり。もちろん友達とも遊んだ思い出のエリアです。走りながら昔の記憶が呼び起されて懐かしい気持ちになる一方、仙台を離れて何年も経っているため色んな変化も見られます。

「ここは昔のままだな」

「あれ?こんなところにビルが建ったんだ」

「そこの道の奥に、よく通ったお店があったな」

そんな思いを巡らせながら走っていると、21kmというハーフマラソンはあっという間。毎年恒例のように出場していますが、大人になって仙台市街を駆け抜けることになるとは思ってもいませんでした。できるだけ長く、いつまでもこの大会をキッカケに仙台を走り続けたいものです。

たくさんの声援を受けてゴールへ

都市部を走るというだけあり、この大会は応援が凄い。走っている間、ずっと沿道から声を掛けて頂きました。仮装していることもあって「トウモロコシ頑張れ!」なんて言われると、疲れた身体に力が沸き上がってきます。

特に賑やかな「定禅寺通り」では、太鼓や踊りなどのパフォーマンスも。仙台という街が一つになり、大会を盛り上げてくれていました。その様子を見るたび「仙台って良い場所だな」と、我が故郷に対して少し誇らしさが感じられます。

ゴールは「弘進ゴムアスリートパーク仙台(仙台市陸上競技場)」。ここは学生時代、何度も競技として走った思い出深い場所です。私が現役だった頃は赤土色だったタータンが、今ではブルーに変わっています。それでも私にとっては、青春時代の多くを過ごした競技場。ゴールゲートをくぐる瞬間は、何ともいえない感情が沸き上がってきます。

故郷を走る。本大会以外でも、数年前からその機会が増えました。生まれ育った地、そしてたくさんの思い出が残る場所を自らの足で走るのは、とても感慨深いものです。もちろん大会ではなく自由に走ったり、走らなくても歩いたりしても良いでしょう。一度、離れた故郷を訪れ、自分の足で巡ってみてください。以前の記憶が呼び起され、改めて故郷の良さや魅力、そして変化を感じ取れる素晴らしい時間になるはずです。

仙台国際ハーフマラソン 公式ホームページ

By 三河 賢文 (みかわ まさふみ)

“走る”フリーライターとして、スポーツ分野を中心とした取材・執筆・編集を実施。自身もマラソンやトライアスロン競技に取り組むほか、学生時代の競技経験を活かした技術指導も担う。ランニングクラブ&レッスンサービス『WILD MOVE』を主宰し、子ども向けの運動教室やランナー向けのパーソナルトレーニングなども。4児の子持ち。ナレッジ・リンクス(株)代表。

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