日本のプロ野球で活躍し、「ノムさん」の愛称で親しまれた故野村克也監督。その野村監督が遺した野村語録の中に、「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。」という言葉があります。恐らく、耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。

「勝負には、勝てた理由が説明できない偶然の勝ちがある。しかし、負けた時は負けた理由が必ずあるものだ。」と、敗因の分析が重要であることを説くために使われるこの言葉。もともとは、江戸時代の備前国平戸藩主だった松浦静山という人物の言葉だったようです。松浦静山は大名ながら、心形刀流剣術の達人でもありました。彼は、剣術書の中で次のように記しています。

予曰く。勝に不思議の勝あり。負に不思議の負なし。問、如何なれば不思議の勝と云う。曰く、道を遵び術を守ときは、其心必勇ならずと雖ども勝ち得る。是心を顧るときは則不思議とす。故に曰ふ。又問、如何なれば不思議の負なしと云ふ。曰、道に背き術に違へれば、然るときは其負疑ひ無し、故に爾に云、客乃伏す。

[訳]

予が言った。「勝つときには不思議な勝ということがある。しかし負けるときには不思議な負ということはない」

客が問う。「なぜ、不思議な勝と言われるのでしょうか」

予が答える。「法則に従い、技術を守ってたたかえば、たとえ気力が充実しておらずとも勝利を得ることができる。このときの自分の心をふりかえれば、不思議に思わずにはいられないからである」

また問う。「では、なぜ不思議の負はないと言われるのでしょうか」

予は答えた。「法則を無視し、技術を誤れば、負けることに間違いない。それだからこのように言うのである」と。

客は平伏した。

(出典:『武道秘伝書』徳間書店・吉田豊編・201、202ページより

松浦静山は、「道理にあった技術や戦術を用いれば必然的に勝てる。負けるのは用いた技術や戦術が道理に反しているからだ。」と客人に伝えています。「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。」は、現代では敗因分析の重要性を説く言葉として広まっています。しかし本来は、教えや技術を守ることの大切さを説いていたようです。

目次

「正しい」とは何か

剣道では、「正しい」という言葉が頻繁に使われます。正しい打ち方、正しい構え、正しい剣道などの使われ方です。剣道では当たり前のように使われる「正しい」を、一般的なスポーツに当てはめてみるとどうでしょう。正しいサッカー、正しい野球、正しい水泳、正しいボクシング、正しいスキー。どれも、あまり聞き慣れない言い方ですね。これまで楽しめていたはずのスポーツが、「正しい」が付くことによって、少々窮屈な印象になってしまうようにも思います。窮屈な印象を与えかねない「正しい」という言葉を、なぜ剣道では頻繁に使うのでしょうか。

その理由は、剣道では必勝の技術や戦術がすでに解明され、確立されているからなのだと私は考えています。野球であれば、一本足打法や振り子打法など新しい打ち方が開発され続けていますが、剣道では新しい打ち方は生まれないと言って良いでしょう。剣道の試合での戦術には、その時々でトレンドの戦術があるようにも思います。しかし、そのような戦術はあくまで流行りであって、結局は一定の戦術に集約されていきます。

剣道の技術や戦術は、日本の歴史の中で先人たちによって醸成されてきたものです。長い年月をかけて練り上げられた技術や戦術。その中に理法が見出され、現代の剣道にも引き継がれています。理法とは「リンゴを持って木に登り、そのリンゴを手から離すと地面に向けて落下する」というような、不変の法則のこと。刀を持ったときの不変の法則が「剣の理法」となります。刀で斬ろうとするとき、刀の刃部が当たるから対象物が斬れるのは理法。そして、刀の刃部以外が対象物に当たっても斬れないことも理法。つまり、剣の理法に則っている技術や戦術は「正しい」となり、理法から外れた技術や戦術は「誤り」になるのでしょう。

剣道で刀の代わりに使う竹刀にも、観念としての刃部が設定されています。竹刀で対象物を斬ることはできませんが、竹刀であっても相手を打つときは刃部が対象に当たるように使うのが「正しい打ち方」と言えるでしょう。そして、剣の理法に則った技術や戦術を修得しようと心掛けている状態を、「正しい剣道」と評価するのだと私は考えています。

なぜ、練習ではなく稽古なのか

剣道では、練習のことを稽古と言います。「練習」と「稽古」は、「能力や技術などを向上させるために繰り返し習う」という点で共通です。では、なぜ稽古なのか。稽古の「稽」の字には「稽(かんが)える」という意味があるそうです。漢字の意味を調べると、稽古とは古(いにしえ)を稽(かんが)えることだと分かります。従うべき法則や守るべき技術を過去に遡って学び、修得しようとするのが稽古なのでしょう。

冒頭でご紹介した松浦静山の言葉の中でも、教えや技術を守ることの重要性が説かれていました。剣道では、過去の教えを現代で実践しようと心掛けることが大切なのだと思います。剣道は剣道着と袴を着用して稽古を行いますが、動きやすさに特化して追求すれば、現代のスポーツウェアのような形に変化しても良さそうなものです。しかし、スポーツウェアではなく、わざわざ剣道着や袴を着用することも、古を稽えようとする行為と言えるでしょう。剣道の稽古とは、過去を訪ね、剣の道における不変の法則を探す旅なのかもしれません。

By 三森 定行 (みもり さだゆき)

剣道LABO®︎代表・剣道ファシリテーター。自身の剣道経験と映像編集技術を駆使し、社会人剣道家の上達をマンツーマンでサポートしている。東京・神奈川・千葉・埼玉にクライアント多数。全日本剣道連盟 錬士七段。1976年生まれ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。