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プロ野球界の同姓同名 名球会の選手 異なる競技でともにトップレベルの選手も

◆巨人・坂本 球団通算1万500号

巨人の坂本勇人が22日の阪神戦で3号2ランを放った。球団通算1万500号となる節目の一発だった。

 

坂本は、チームトップでリーグ6位の打率.306。出塁率.4158はリーグトップだ。毎年のように安定した成績を残し、日本球界を代表する打者となっている。

 

昨年のオフ、その坂本と同姓同名で話題となったのが、巨人の育成ドラフト6位・唐津商業の坂本勇人捕手だった。川崎市のジャイアンツ寮に入った際には「内角のさばき方、下半身の使い方を聞いてみたい」と偉大な先輩との対面を心待ちにしていた。プロ1年目の今シーズンは、ここまで2軍で出場1試合のみで、打席には立っていない。

 

プロ野球史上、同姓同名の選手は少なくないが、同じチームで同じ時期にプレーするケースはほとんどない。有名なのは「田中幸雄」。1986年から89年まで、日本ハムには内野手と投手、2人の田中幸雄が在籍した。

 

◆日本ハム 投手と野手で同姓同名

内野手の田中幸雄は宮崎県の都城高校出身。1985年にドラフト3位で指名を受けた。プロ2年目からレギュラーに定着。打点王1回、ベストナイン4回、ゴールデングラブ賞5回を獲得する球界を代表する選手となった。引退した2007年には、通算2000本安打も達成。プロ22年間、日本ハム一筋で「ミスターファイターズ」と呼ばれた。

 

投手の田中幸雄は、千葉県の流山高校から電電関東(現在のNTT関東)を経て、1981年のドラフト1位。プロ1年目から5勝を挙げた。1985年には史上55人目となるノーヒットノーランを達成している。

 

翌年からは守護神を務め、通算214試合で、25勝36敗16セーブをマーク。身長190cm、体重90kgと、野手の田中幸雄より体が大きかったため「オオユキ」と呼ばれていた。2人の田中幸雄が同じ試合に出場した際、スコアボードでは投手を「田中幸」、内野手を「田中雄」と表記した。場内アナウンスは背番号で区別していたという。

 

1971年の西鉄には「高橋明」が2人いた。先に在籍していた外野手の高橋明は福岡県の柳川商業(現在の柳川高)から、1968年のドラフト14位で入団した。プロ通算3試合で2打数1安打。結果を残すことができず、1972年に引退した。

 

投手の高橋明はプロ通算71勝を挙げている。1971年に巨人から西鉄に移籍。移籍1年目に14勝を記録。しかし、翌年は1勝8敗に終わり、ユニフォームを脱いだ。奇しくも同姓同名の2選手が同じ年に現役を退いた。球場のスコアボードでは外野手を「高橋外」、投手を「高橋明」としていた。

 

◆競技が異なる同姓同名も

別の競技のトップアスリートと同じ名前で注目された現役選手もいる。西武でプレーするのは、サッカー元日本代表のエースと同じ本田圭佑投手。入団から3年間は不本意なシーズンが続いたが、2019年にプロ初勝利を含む6勝をマークした。あす4月24日に28歳を迎える。今後、白星を積み重ねることが期待されている。

 

40代以上の世代には懐かしい金メダリストと同姓同名の内野手は、野球界で確固たる地位を築いた。「鈴木大地」。FAでロッテから楽天に移籍した昨シーズンは、自身3度目のベストナインに選出された。オールスターに5回出場する球界の顔となった。

 

一方、水泳界にも世界を驚かせる伝説の泳ぎを見せた鈴木大地が。1988年ソウルオリンピックの100m背泳ぎの決勝で、スタートから水中を潜って進む「バサロ泳法」によって金メダルを獲得。その後、スポーツ庁長官を務めた。

 

同姓同名で偉大な選手と比較されることには葛藤があるだろう。名前は注目されるきっかけにすぎない。「打てる捕手」を目標に掲げる坂本勇人捕手の背番号は、坂本勇人内野手の「6」にちなんで「006」。背番号を小さくして“本家”と同じ舞台に立ち、実績で大きく注目される選手になりたいところだ。